第1573回 昭和の伝道師 【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1572話 装甲巡洋艦 出雲の事。 2016年7月14日木曜日の投稿です。




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                   【 装甲巡洋艦 出雲 いずも 】


1924年 大正13年当時の練習艦隊は、3隻で構成され、 浅間、八雲 と紹介

したのですが、最後のお話は 出雲 のお話です。

出雲と書いて、 いずも と読みます。 島根県の 旧国名が 出雲国 から名を

とって、 出雲と命名されたのです。

この艦は、 66艦隊構想というのがあって、明治時代に イギリスに発注され、

2隻の同型艦があり、 もう一方は 磐手 といいます。



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 日露戦争前の、1900年 明治33年の就役で、 日本海海戦では、第2艦隊

 の旗艦でした。

 基準排水量 9750トン 全長が121メートル 速力が20ノット 乗員が672名

 主砲は、 45口径 203ミリ砲を搭載していました。

 出雲も、磐手も、 イギリスのアームストロング社 エルジック造船所 で建造

 されたそうです。


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         【 出雲艦長 重岡 信治郎 海軍大佐 愛媛県 松山市出身 】



 この出雲という装甲巡洋艦の当時の艦長は、 重岡 信治郎 海軍大佐でした。

 重岡 信治郎 と書いて、 しげおか のぶじろう と読みます。

 重岡艦長は、海軍で言う 潜水艦屋で、 潜水学校の教頭をした後、出雲の艦長

 に着任し、 その後、 いろんな要職を歴任し、 潜水学校の校長などを勤務して

 海軍中将に進級し、 日本の潜水艦の近代化の中心的存在であったのです。


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  この 出雲 という艦は、 当時の連合艦隊司令長官 竹下 勇 海軍大将や、

 日露戦争の英雄、 秋山 真之 参謀などが、艦長を勤めたことで知られていて、

 太平洋戦争 こと、大東亜戦争で呉沖で沈没するまで、活躍した装甲巡洋艦

 あったのです。


   【 明日に続く。】