第1575回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】
第1574話、集まる来賓の事。 2016年7月16日土曜日の投稿です。
大正13年の7月23日、 海軍兵学校の卒業式を翌日に控えて、 広島やら、
呉やら、 いろんな所から来賓が江田島にどんどん押し寄せて来たのです。
多くの人が来られたのです。
式に間に合わなかったのです。
当時 江田島に2台しかなかった ガソリン自動車は お偉い様を乗せて
フル回転でありました。
そして 正面玄関からは、 皇族の伏見宮博恭王様が 到着され、
私達の卒業式の前の日は盛上がっていったのです。
そのような中、 広島第1中学卒の 源田生徒の 友人で、山口 博生徒
【 後の大和の通信長 海軍大佐】がやってきて、 「 わりゃ どの艦に 配属
になったんかのうーー。」と問うので、「八雲になったんや。」と、返事をすると、
「 わしゃーーのーー、 浅間になったんじゃ、 高松宮殿下の お供が出来る
とは、ぼれー嬉しいのぅ-。」と言う物ですから、「 それはそうと、 わてら、
どこの外国に遠洋航海にいくんかいな。」 と、 山口生徒に問うと、 「 おぅー、
それょーーのーー。」 「複数 うわさがあるんじゃがのぅーー、 1つは、
フランスに行く言う話があっての-。」 「インドで、3メートル程度の長さの
大蛇使いなどを見学しての、
そりゃーーぶちすげぇ 大きなヘビらしいわ、 ほんでの、 そのまま、エジプト
に行っての、先の欧州大戦で地中海で撃沈された、水雷戦隊の英霊の墓参を
してのぅ、 その後、ピラミッドを見学するいぅ うわさじゃ。」と言う。
入港しての、 フランスの フォッシュ元帥に 面会して 訓示を受けるらしいわ。」
【 フランスの フォッシュ元帥 】
それを聞いた 私達は、「 ほんまかいな、 たのしみやなーー。」と、大話しを
していると、 後から、「 おぃ、 貴様、 すまんが、案内してくれんか。」と、声が
かかり、 はっと 振り向くと、 海軍大佐の階級章をつけた佐官が立っていたの
です。
すぐに、私達は、 背筋を伸ばして、敬礼したのですが、 「 おぃ、 厠【 かわや、
手洗いの事】は、どこにある。」と聞かれるものですから、「 はっ ご案内します。」
と、 先導したのです。
おかしな話やがなと、 考えながらご案内すると、 「 おぅ ここか、 いゃーー
ご苦労。」と言って、 厠の中にすっとんで入られていったのです。
階級章を見ると、機関大佐の階級章で、「 ははぁーー、 機関学校出の大佐殿
か、 兵学校の内部を知らないはずや。」 と井上君と話していると、 その機関
大佐殿、 厠から出て来るなり、「 うーーん、 ワシもいろんな厠に行ったが、
兵学校の厠は 清潔で美しい。」 と、こんな事を言われたので、 私が「以前、
乃木 希典 閣下が、江田島を訪問され、厠を使用され、 同様のお言葉を
いただきまして、 きれいに清掃する事が、兵学校の伝統となっております。」と、
こんな お話を申し上げると、 「 ほうーーー、乃木閣下と同じ厠でようを
たせるとは、 名誉なことである。」 と、こんな お話をいただいたのです。
【 練習艦隊 司令部附 機関長 吉岡 保貞 機関大佐 】
この人が、 私達の練習艦隊の 司令部の機関長 吉岡 保貞 機関大佐殿
との出会いであったのです。
当時、 17年後、 吉岡 機関大佐殿の息子と、 赤城で一緒に仕事をすることに
なるとは、当時 まったく考えても見なかったのです。
また、 その結婚の経緯のお話を聞いて、 南雲閣下や、草鹿参謀長と一緒に、
大笑いする事になっていったのです。
【 明日に続く。】