第1577回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1576話 海軍兵学校 御賜組の事 2016年7月18日月曜日の投稿です。





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  1924年 大正13年7月24日 たしか、木曜日でしたか、それ前後でしたが

いよいよ、最後の江田島の日の朝を私達は迎えたのです。


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   この日の朝は、どういうわけか、よく眠れず、目がさめてしまい、江田島の夏は

朝の4時半程度から、 薄暗い感じから 明るくなっていき、5時前に夜が明けるの

です。

 
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     朝ご飯も、ここで食べるのが最後かと考えると、 パンと汁の味も少し違った

     味に感じたものです。


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    ところで 今日のお話は 御賜組 【 おんし ぐみ】 というのはなにか

と言う事をお話しします。

御賜組 とは、 江田島海軍兵学校で、 学年のことを クラス と呼んでいた

のですが、 そのクラスの中で、1番から10番までの生徒を最後の卒業式で

表彰することになっていたのです。

 前話で紹介した、 草加 龍之介 閣下も 御賜組でしたし、 板谷 茂 少佐、

 や、 吉岡 忠一 少佐も御賜組でした。

御賜組の中で、成績が1番の人を 首席 【 しゅせき 】と呼んで、 2番目の

人を 次席 【 じせき】 と呼んだのです。


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               【 赤城 制空隊 中央 板谷 茂 海軍少佐 】


  空母 赤城の制空隊の指揮官 板谷 少佐のように、 第57期の御賜組の

首席卒 と言うと、それはそれは立派な成績で、 将来 将官が約束されていた

のです。

その御賜組の 語源というか意味合いは、卒業式の日に、卒業証書と一緒に

御賜の品物がいただけるのです。

大東亜戦争中、 少しですが机を一緒にならべて仕事をした陸軍の 辻 参謀の

お話では、 陸軍では、軍刀を御賜の証としていただいたそうで、陸軍士官学校

では、 御賜の軍刀組 と呼ばれていたそうです。


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  当時の場合はどうであったかと言うと、 海軍の短剣のはばきに、御賜と、文字

が入っていまして、 年度、年度で 品物は違っていたそうですが、 短剣が多かった

そうです。



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    兵学校のご婦人方も、 正装に着替えて、 いよいよ私達の卒業式が

   大講堂で始まったのです。


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     兵学校には、江田島からいろんな人が つめかけてきたのでした。

     この第52期が はちはち艦隊計画の最後の大人数の卒業年次と

     なって行ったのです。


    【 明日に続く。】