第1589回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第1588話 八雲艦長の訓示の事。2016年7月31日日曜日の投稿です。



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  関東大震災の翌年の大正13年の7月24日木曜日の午後、広島県の江田内

に停泊していた、 当時の練習艦隊 旗艦 浅間、 八雲、 出雲 の3隻の装甲

巡洋艦は、 出港準備を始めたのです。

当時は、石炭艦であったので、 黒い 黒煙がもくもくと立ち上ったのです。

そのような状況の中、 私が乗り組んだ 装甲巡洋艦八雲では、副長の羽仁 

海軍中佐に、姓名申告を行い、 海軍兵学校の52期、 海軍機関学校の33期、

海軍主計学校の第12期の卒業者で構成する八雲の 少尉候補生部隊は、八雲

の艦長、鹿江 三郎 海軍大佐の 出港前の訓示を受ける事になっていったの

です。



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 航海長 兼 第1分隊長の小池 四郎 海軍少佐が、「 艦長 到着。 全員

 きょーーーーっけーーーぃ。」 と、号令をかけると、全員が背筋を伸ばし、艦長

 の鹿江 海軍大佐に注目したのです。




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     【 大正13年当時の 八雲 やぐも 艦長 鹿江 三郎 海軍大佐 】






 戦後の俳優で、 伊吹 五郎さんと言う、 男前の俳優の方がいらっしゃい

 ましたが、 まひげのあたりなどがよく似た、 海の猛者という感じの大佐殿で

 ありました。


 小池 四郎 海軍少佐が、「 艦長に対して、敬礼。」と、号令をかけると、

全員が一斉に敬礼し、 鹿江海軍大佐は、敬礼したまま、右から左まで じっと

厳しい目付きで見つめたのです。

しばらくすると、「 全員 やすめ。」が かかりまして、 艦長の訓示が始まったの

です。



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  「 本日は天候にも恵まれ、この日を迎えられたのは 嬉しく思う。 ところで

 練習艦隊に配属になった諸氏にぜひとも学んでもらいたいのは何か、それは

 この練習航海によって、まず 大自然の海を知ることである。

 この鉄の城である 八雲 でさえ、大自然の荒波には無力である。

 
              「 大自然の海を知る。」

 これは 大変に大切な事であるので よくよく 覚えておくように。」


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   「 それから、皇国【 おくに】を取り巻く周囲の国々を廻り 国際感覚を身に

  つけることである。

  海軍兵学校、 海軍機関学校、 海軍主計学校で学習得とくした、外国語などを

  駆使して、国際親善を行うと言う事をよく覚えておくように。

  それから、 諸氏は、 少尉候補生である。 将来、 多くの部下を持ち、それらに

  指揮、指導的役割を担う人材である。

  そのような訳で、 海上においての 統帥【 とうすい 】という 言葉、そして、

  その実行を学んでもらいたい。



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   指揮官というのは、 大きな艦、 小さな艦と言えども、基本は一緒である。

  指揮官の誤った、心がけ、 誤った判断の結果、 人名が失われることがある。

  この 統帥という言葉を 肝に銘じ、 この練習航海で各員、自らを錬磨し、

  日本海軍の将校になる為、邁進することを望む。

  後、数十分の出港準備作業が完了次第、 江田内を出港する、少尉候補生

  部隊は、右舷、艦首から艦尾に整列し、 答舷礼をもって、 対岸の見送りに

  帽子ふれで答える、 この後、 すぐに移動を開始せよ。

  以上、終わり。」 と、 訓示があり、 「  きょうつけーーぃ、敬礼。」

  と 号令がかかると、 鹿江艦長は、 敬礼したまま、 右から左に視線を

  配りながら敬礼されたのでした。


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  訓示でお話があった、      海の大自然を知る。  

                      国際感覚を身につけ、国際親善を行う。

                      艦上での統帥を学ぶ。



   これらのお話は随分大切な事で、 私達は練習艦隊に配属され、

  これらの事を身をもって体験していくことになるのです。

  次回は、いよいよ 江田島の江田内を出港し、 その当時の思い出を紹介

  したいと思います。




   【 次回に続く。】