第1615回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】
第1614話、龍田と第四十三潜水艦の衝突の瞬間の事。
2016年8月29日月曜日の投稿です。
前話からの続きで、 高橋 節雄【よしお】 海軍少将のお話では、乗り組んでいた
特務艦 見島 の艦橋からの見た感じというのは、 左弦90度方向、つまり真横の
6千メートル離れた場所というので、水平線の遠く見える程度の場所で、軽巡の龍田
の艦首が少し浮き上がり、喫水線の下の赤い色がちらりと露出した程度にしか見えな
かったのだそうです。
その後、龍田の艦橋の見張りからの話では、 速力15ノットで海上を航行中
前方 約、50メートル程度の海面に潜望鏡が伸びてきたのだそうです。
どういうことかというと、 潜水艦は水中で、 潜望鏡だけ海面に出て来た状態
こう言う状態で、潜望鏡に龍田は衝突してしまったようです。
遠く、特務艦 見島から眺めていて、艦首が浮いた様に感じたというのは、
龍田の 海面から下の艦首が、潜水艦の潜望鏡の下の司令塔に衝突したと
推測されたのです。
【 大正13年当時の 第四十三潜水艦 の司令塔 付近 】
おそらく、水中から、潜望鏡深度に浮上して、 潜望鏡をあげたら、いきなり横から
龍田が、突っ込んできた、 そして、 水中の司令塔に 龍田の喫水線よりの下の
部分が、水中の第四十三潜水艦の司令塔を破損させた、そして、潜水艦が衝撃で
横倒しになったのではないか、 こう推測されたのだそうです。
これらの経緯は、 高橋閣下のこの文章に 詳細に語られていて、続きで
順番に紹介して行きます。
この文面を読んでみると、 軽巡 龍田は15ノット つまり平速で航行して
いたようで、海上でブレーキのきかない操艦で、わずか50メートル先に、潜望鏡
が突然海面から出て来たと仮定すると、 避けようがない事故だったというしか
ないのですが、 逆に、潜望鏡を伸ばした人は誰であったのか、どういう判断で
浮上したのか、 こういう所が衝突事故の原因のようです。
【 第四十三潜水艦 艦長 心得 桑島 新 海軍大尉 殉職後、海軍少佐】
戦後の現在でも、こう言う事故は時たま発生するのです。
なにもないと思い込んで潜水艦が浮上すると、 目の前に漁船が迫ってきたとか
そういう事故がいろんな場所で発生しているのです。
大正8年から、ドイツのUボートを接収し、分解して調べて、日本人が潜水艦を
建造しだして、3回目の大きな潜水艦の事故であったのですが、 人災であった
のです。
【 明日に続く。】