第1873回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1872話 雲揚号事件 長崎での出来事。 2017年7月7日金曜日の投稿です。




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  1875年 明治8年の9月20日、21日、22日に発生した、朝鮮と日本海

の武力衝突は、日本側の一方的な引き上げで幕を下ろし、 雲揚号事件とか

江華島事件という名前で呼ばれています。


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   言い伝えによると、9月28日頃、 長崎の港に帰港し、同港で待っていた

  川村 純義 海軍大夫に、 部隊指揮官 井上 良馨 海軍少佐が、出来事に

  ついて報告し、書類をしたため、東京に送られたとあります。


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       【 艦隊指揮官 井上 良馨 海軍少佐  薩摩藩出身 】


   朝鮮半島歴史学者は、日本人の意図的な陰謀で、卑劣な植民地主義

  始まりであったと、言う人がほとんんどで、 偶発的な武力衝突と見る人は

  ほとんどいないようです。

  

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          【 海軍大夫  川村 純義  薩摩藩 出身 】


  日本側の研究者の間では、 長崎に滞在していた、 当時の海軍 大夫 川村

  純義 が計画の立案者で、主導者ではないかと言う人が多いようです。

  その根拠は、彼が朝鮮半島に 雲揚、 第二丁卯の2隻の艦艇を派遣する事

  を推進していたというものですが、 当時の言い伝えばかりで、はっきりとした

  記録、証拠は無いようです。

  それから、一部の研究者の間では、 黒幕は 西郷隆盛の弟の 西郷 従道

  ではないか、 朝鮮と戦争を起こすことで、 鹿児島に帰ってしまった、薩摩系の

  人達を呼び戻すきっかけを作ろうとしていたのではないかーー、 などと、想像

  する人もいるようです。


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   はっきりしているのは、薩摩藩出身者の日本海軍関係者によって、朝鮮に

  軍艦が派遣され、挑発行為を行って、武力衝突に発展し、9月29日にその顛末

  が、当時の東京の 大久保 利通 に送られて、 騒動に発展していったことは

  間違いのない事です。


  【 明日に続く。】