第1855回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1854話 朝鮮日本公使館の炎上の事。 2017年7月19日水曜日の投稿です。







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 1882年 明治15年7月23日の夜、 朝鮮人の暴徒に周辺を包囲されていた

朝鮮日本公使館の 花房 義質 【よしもと】公使は、 陸軍の水野駐在武官

意見具申に迷いを持っていたのです。

彼が言うには、「 公使、 ここで関ヶ原の合戦の島津 義弘公のように、包囲の

薄い部分に、一気に打って出て、 暗い夜の間に朝鮮の王宮へ避難すべきです。

相手は兵士では無く、暴徒です、 夜討ちを掛けて、一気に走って抜けましょう。

 ここの公使館は、 明日いっぱい、もたないと思います。 それから、水は良いとし

て、 30人分の食糧がここにはありません、 ここは夜の今のうちに、決断すべき

です。  明日の朝では手遅れです。」との、申し立てに、 このまま、公使館にいて、

暴徒に夜明けと同時に攻撃されるのをあえて座して待ち、 朝鮮の救援の軍勢が

来るのを待つか、 脱出して 王宮に走るべきか、迷いに迷ったあげく、 公使館

を放棄することにしたのです。


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       【 朝鮮公使 花房 義質【よしもと】 岡山県倉敷市真備町出身 】



  裏口を少し開けて、 様子をうかがい、 先陣は 本田 親友 巡査、 廣戸

昌巳 巡査などがサーベルを抜いて、 一気に夜中の暗闇をついて、花房 公使

らは、暴徒の包囲の中を走り抜け、 漢城の中心部に向かったのです。

その行き先に選んだのは、 京畿観察史営 という場所で、 日本で言う、奉行所

のような場所でした。

彼等は 脱出には成功したのですが、 怒った暴徒が、日本公使館に放火し、

メラメラと音をたてて、炎上していったのです。

  暗闇の中、 一行は力尽き、休憩していると、陸軍の 池田 と岡田という

若い学生が、偵察に出たのですが、驚いた情報を持って帰ってきたのです。

 「 公使、大変です。 京畿観察史営の正門に、 観察史の金殿の生首が

 さらし者にされています。」 と言う。


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  花房 義質 公使らのめざしていた、 金 観察史の役所は、すでに暴徒に

襲われ、彼は斬首され、 首がさらし者にされていたのでした。

花房 公使が、「 水野大尉、 いったいどうするのか。」 と 問いかけると、

水野大尉は、「 王宮に向かって歩いて、 高宗 国王に保護してもらいましょう、

それが最良の得策と考えます。」と言う。

  日本公使館 一行は、 よろめきながら、まだくらい朝方、 高宗 国王の

 宮殿をめざして、逃走していったのです。


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 しかし、ここは、大院君 興宣の兵士達が占拠していて、 情報が無かった

 ので、花房義質 公使達は、王宮に逃げ込めば命が助かると考えていた様ですが

 敵に向かって、迷い込んでいったのです。


【明日に続く。】