第1860回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1859話 壬午事変【じんごじへん】フライングフィッシュ号の長崎入港の事。
2017年7月24日月曜日の投稿です。
1882年 明治15年7月23日に発生した、 大朝鮮の閔妃一派を武力討伐
する、大院君 興宣 一派のクーデターに端を発した、朝鮮人の暴動は、朝鮮
日本公使館を放火、焼き討ちし、 公使館の日本人が15名殺害されるという
痛ましい事件となり、 小舟で漂流していた、花房 義質【よしもと】公使達は、
イギリスの フライング フィッシュ号に偶然拾われ、日本の長崎の港に、7月
29日に入港したそうです。
ここで、 海賊という扱いから、 また 外交官の扱いに戻ったそうですが、
15名の人は、何とか、日本の地を踏めたそうです。
記録によると、この騒動で亡くなったというか、朝鮮人に殺害されたのは
次の人達と言われています。
堀本 禮造【らいぞう】工兵少尉
池田 平之進 陸軍学生
岡内 格 陸軍学生
武田 勘太郎 通訳官
水島 義 公使館職員
鈴木 金太郎 公使館職員
飯塚 玉吉 公使館職員
廣戸 昌克 一等巡査
宮 鋼太郎 二等巡査
川上 堅鞘 二等巡査
池田 為義 二等巡査
遠矢 庄八郎 二等巡査
本田 親友 三等巡査
近藤 道堅 学生
黒澤 盛信 学生
夏の暑い船倉の中で、揺られて戻って来た、花房 公使は電信で、外務省に
事件の顛末を報告し、 東京の外務省が、朝鮮の動乱について初めて知り、
太政官に報告されることになって行ったそうです。
外務省では、 日本の国書を 突き返し、「 天皇という文字が気にくわない、
日本国王とすべし。」と、叫んで、 日本を軽く扱い、 国交をもとうとしなかった
大院君 興宣が、 日本に開港し、貿易を始めていた、閔妃とその一族を武力で
排除し、 また 政権の座について、封建主義の独裁政治を始めたと知り、
朝鮮に対して武力行使を行うべきだという意見が大きくなっていったようです。
朝鮮は、 外国人撃ち払いを叫ぶ、 大院君 興宣に支配され、どんどん
国としての体制が崩壊していくのでした。
【明日に続く。】