第1862回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1861話 壬午事変【じんごじへん】 右大臣の喉の腫れ物の事。




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  1882年 明治15年の当時、朝鮮半島では、「国から食糧物資が少なくなった

のは、閔氏【びんし】が開国政策を行い、日本人が我々の食糧を海外に運び出し

ているからだ。」 「 日本人を追い払い、 元の鎖国に戻すべし。」と言う世論が

形成されていったのです。



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         【クーデターを起こして 政権を奪取した 大院君 興宣 】



 実際は、 前年から続く、干ばつの影響で不作が続いていたのが原因でしたが

大院君 興宣 と言う人は、 朝鮮半島の人々の不満を日本人に向けさせる為に

日本人と閔氏を悪者にして、 人々を煽動する宣伝工作を行っていったようです。

このような中、日本でも、「朝鮮を武力討伐すべし。」と叫ぶ人達が、外務省に

押しかけたり、騒動になったと伝えられています。



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 この当時の政界一の実力者 岩倉 具視 公が心配していたのが、軍人の

 暴走でした。

  どういうことかというと、 朝鮮に武力行使を行い、仁川を占領した後、

勝手に兵を進めて、朝鮮で泥沼の戦争になることを恐れていたそうです。

 と言うのが、当時日本は、大蔵省に軍事費が無かったのです。

どうしようか、なにか、歯止めになる細工をと考えていると 鼻の奥が痛みだした

そうです。

  言い伝えによると、赤黒い腫れ物が 喉の奥に出来て、日々大きくなっていく

 今で言う、咽頭ガンの症状であったようです。

 岩倉 具視 右大臣は、一年後に帰らぬ人になるのですが、この頃から

 喉の奥の腫れ物に悩まされ、 会話も出来なくなっていったようです。

 実質 最後の国の舵取りとして命令を出したのが、 この朝鮮との事件の処理

 を軍人でなく、 外務卿 の 井上 馨 公にすべてを一任し、下関に移動して

 直接指揮を執るようにと決定したそうです。


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                  【 外務卿 井上 馨  長州藩 出身 】


    岩倉公は、 先の雲揚号事件で、薩摩藩の 海軍卿 川村 純義らが

  朝鮮との交戦を計画していたことを知っていたので、 彼等に、判断を委ねると

  どんどん戦争が拡大するのではと不審感を持ち、そして恐れていたようです。


   【 明日に続く。】