第1863回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1862話 壬午事変【じんごじへん】と慶應義塾の事。

                          2017年7月27日木曜日の投稿です。



イメージ 1



    壬午事変【じんごじへん】と呼ばれる、日本公使館への焼き討ちや、公使館

員の殺害などで、日本が大騒ぎになっていた、1882年の7月の月末、日本に

滞在していた、大朝鮮からの留学生 朴 泳孝 【パク ヨンヒョ】と言う人は、閔氏

の系列の学生で、日本に留学して、日本語と日本の文明開化を勉強して、自国で

推進しようという大志をもった人でした。



イメージ 2


                   【 大朝鮮国 朴 泳孝 氏 】


  その朴 泳孝さんが、勉強していたのが 言い伝えによると、慶應義塾だった

 そうです、 ここで 福沢諭吉先生から、西洋を見分したお話しを聞いて、大きく

 影響を受けたそうです。


イメージ 3


 彼は、福沢諭吉先生から、 西洋は男女平等で、身分などはなく、 国の指導者

も立候補制で、入札によって決まるというお話しを授業で聞いて、驚いたそうです。




イメージ 4



    ところが、自分の国の大朝鮮はどうかというと、 一部の特権階級が権力を

 独り占めし、 身分をたくさん作って、 それぞれの身分の対立を煽り、 それぞれ

 を操り、 反目させて、 統治するという 封建主義で、 忠義と奉公を奨励し、

 家庭の中も、 男が優先され、女性は所有物のような存在であったのです。


イメージ 5



  彼は福沢諭吉先生のお話を聞くうちに、 大朝鮮は、今後の未来は、福沢

 諭吉先生の唱える、 男女平等、 民主主義の身分のない、人はみんな平等で

 誰もが政治に参加できる社会を構築すべきと考えるようになっていったのです。

 そんな中、 発生した 壬午事変で彼は、福沢諭吉先生に、急遽 帰国して、

 大朝鮮と、大日本との関係を修復するのに努力したいと申し入れして、帰国する

 のでした。

  そんな彼を、 福沢諭吉先生は多いに評価し、 慶應義塾として支援していく

 事になっていくのです。



イメージ 6
 


   福沢諭吉先生 という人は、西洋人の植民地侵攻から、大日本を守り、平和

 を維持するには、 大朝鮮と友好を保ち、軍事同盟を結んで両国が独立を守り、

 両者が仲良く繁栄すべきだとの構想をいだいていて、 朴 泳孝 氏も この考

 えに賛同し、 朝鮮 独立党の根本的考えというか、思想になって行くのです。




イメージ 7



  整理すると、 大院君 興宣 という人は、おのれが独裁者になって、西洋人を

 打ち払い、鎖国をして、 封建主義の王制を守ろうとしていった人でした。




イメージ 8



 閔妃【びんひ】とその一族は、 大院君 興宣に追われ、 清国に援助を要請して

 清国の軍事介入によって、 大院君派を駆逐して、 自分達が政治を行おうと

 していったことで、 外国人の軍隊が 朝鮮半島に駐留して、結果、国を外国に

 売り渡すことになって行ったのです。




イメージ 9


  朝鮮に 清国人が入り込み、 政治をするようになって行ったわけです。

  つまり、 清国人に 国がのっとられてしまったわけです。

  これに対抗する為、 独立党という 朝鮮人だけで、西洋の民主主義を模倣した

  新しい、みんな平等な、公平な社会を作ろうとした人達が集まっていったのです。

  これらの人達を 慶應義塾が支援していくことになって行ったのです。


  【明日に続く。】