第1864回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
2017年7月28日金曜日の投稿です。
【 井上 馨 外務卿 長州藩出身 】
壬午事変の報復と損害賠償の請求のため、軍事圧力をかけながら、大朝鮮
をクーデターで乗っ取った 大院君 興宣に対して報復を行う責任者として
当時の外務大臣に相当する 井上 馨 外務卿が、下関に下ったのは、月が
変わってすぐ、8月初旬でありました。
どうして東京から下関に下ったのかというと、 当時の軍人が一人歩きして
大朝鮮と泥沼の戦争になるのを避けるためであったと言われています。
日本海軍はその集結地を 長崎の港として、 ここに 朝鮮派遣艦隊を編成し、
その司令官に 当時の海軍の軍事部長という役職であった、 仁礼 景範 【にれ
かげのり】海軍少将が司令官に就任したのです。
【 仁礼 景範 【にれ かげのり】 海軍少将 薩摩藩 出身 】
陸軍も 福岡鎮台、広島鎮台 から兵力を整え、 その司令官に、後の
台湾副総督になる、 高島 鞆之助 陸軍少将 が就任し、日本国内は、
一気に戦争へと進んで行ったのです。
【 高島 鞆之助 陸軍少将 薩摩藩 出身】
当時、日本国内も、失業した武士があふれている状態で、 なんとか職に
ありつこうと、 これらの攻撃に志願者が急増していったそうです。
日本側が 大朝鮮に報復戦争の準備をしているとの情報を得た、日本に駐在
していた清国の公使は、 外務省に対して、大朝鮮は、清国の属国で、その大朝鮮
行動を中止するよう、外務省に申し入れしてきたのでした。
【 明日に続く。】