第1865回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1864話 壬午事変【じんごじへん】 清国駐日公使 黎 庶昌の事。
2017年7月29日土曜日の投稿です。
1882年 明治15年8月1日に、大日本国が、朝鮮日本公使館焼討ち事件
の報復で軍勢を大朝鮮国に派遣する準備に入ったという話を聞いた、日本
駐在清国公使 黎 庶昌【れい しょうしょう】という公使は、「 朝鮮半島は清国
の属国で、朝鮮国王 高宗は、清帝国の臣下なので、攻撃を止めるように。」と
日本の外務省に正式に申し入れと、善処を求めたそうです。
【 駐日 清国公使 黎 庶昌 れい しょしょう 】
当時、外務卿の井上 馨 公は、既に下関に出発した後で、 吉田清成
外務卿 代理が、代わりに応対したと言われています。
【 外務卿代理 吉田 清成 薩摩藩出身 】
この 吉田 清成 さんと言う人は、大蔵省の官吏で、アメリカやヨーロッパで
日本の国債の原始的なもの、つまり、外国からの借金を取りまとめることをして
いた人で、英会話に長じ、国際感覚が豊かな人でありました。
彼は、 外務省を代表して、 清国公使 黎 庶昌 に対して、「大日本と、大朝鮮
は、五分と五分の平等な国家で、朝日修好条規という 国際条約を結んでいるに
かかわらず、日本の公使館を保護する責任があるのにもかかわらず、放火、焼討
であるので、軍隊で護衛して、外交使節団を派遣し、その損害賠償を請求するのは
当たり前の事である。」 と、言い放ったそうです。
外務省の 吉田 清成 外務卿 代理と、 駐日清国公使 黎 庶昌 との
会談は決裂し、 これらの経緯は 電信で 清帝国の北京に報告され、その日のうち
に清国側に、大日本国が大朝鮮国に武力行使するとの情報がながれ、騒動になって
いったのです。
当時、清帝国では、南部から フランスが攻めてきて、事を構えていて、
北東から、 大日本が 朝鮮半島に攻め入ると、 それに応じて、派兵する
事になるのは、両面で戦争を行う事になり、 得策ではないと考えたのです。
朝鮮半島で何が起きているのか、情報を収集しているところに、 天津の港
から、大朝鮮 国王の家臣 金 允植 【きん いんしょく】と名乗る人物が、
閔氏の使者としてやってきて、 「 大院君 興宣が 謀叛の反乱を起こし、
国王 高宗をしりぞけ、全国で反乱が起きているので、清国に軍勢でこれを
鎮めてほしい。」との 申し入れを行ったそうです。
【 清帝国 北洋艦隊 丁 汝昌 ていじょしょう 大将軍 】
大日本国と、清帝国と、大朝鮮国との3カ国で、軍事的緊張が高まっていったの
です。
実に、西南戦争からわずか5年後の事でありました。
こんな事なら、何万人もの武力衝突で、日本人同士が殺し合いをしなくても、
もう数年、待って、その力を 外国に向けるべきであったと考えるのですが
歴史の流れは とても早かったようです。
【明日に続く。】