第6回、日本海軍航空母艦 蒼龍 2011年11月26日就役。

読者の皆さん、おはようございます。今日も早起きして、庭に出て、上半身裸になって、寒風摩擦、体操をして、健康に、朝を迎えることが出来ました。人間、健康が第一です。本日のお話は、日本海航空母艦 蒼龍です。写真参照。
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昨日、北海道の人から、ブログで、写真の圧縮の方法を教えていただいたので、写真がたくさん載せられるようになりました。紙面をお借りして、親切に教えていただいて、ありがとうございました。又、時々、お気づきのことがありましたら、教えていただけたらと思います。この航空母艦は、昭和初期に、戦艦を改造して、航空母艦になった、赤城と加賀の運用実績を検討し、軍縮条約での、のこりの排水量、2万トン以内という制限の中で、検討、設計、建造されました。速力約70キロの高速が出せ、細く,すらっとして、スマートな航空母艦です。
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写真のキットは、昭和17年6月当時の外観を再現した、キットで,古いキットとは、別物で、ずいぶんとパーツが進化していました。まず、艦橋の部品は、通常の様に、窓等再現された部品になっていました。前のキットは、ひどい物で、シールを貼って終わりの部品からすると、進歩しました。飛行甲板の、甲板の凹凸も新しくなりまして、特に、鉄板部分の長方形の凹凸は、非常に良くなりました。前は、ただ平面だったので、手書きで墨を入れていました。附属の飛行機も、新しくなり、魚雷、爆弾、増槽が部品でついていて、好感が持てます。
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飛行甲板のデカールも、良い物がついていて、手で白線を入れていた、前のキットより進歩しています。しかし、用心しないと行けないのが、新しい試みなのでしょうが、船体の周囲が、今までは、いったい物であったのが、このキットは、2分割になった物を貼り合わせになっていて、上手にやらないと、船底の部品と合わしたときに、両舷で、2ミリ程度、断面が出来るという、欠点があります。格納庫も良い部品がついていて、従来のものより良くなっていますが、艦橋前のエレベーターが、手順通り組んでいくと、1ミリ程度、飛行甲板のエレベーターの開口部から、ずれているようです。次の金型を作るときに、改善していただけたらと考えます。しかし、ずいぶんと良くなったと思います。写真の作品は,朝の5時20分頃、完成した、ほやほやで、写真を撮りました。
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1942年6月、早朝、米急降下爆撃隊のサッチ少佐のドーントレス急降下爆撃隊の操縦席から見ると、発鑑途中の蒼龍は、こんな感じの風景だったのか、レーダーを当時、搭載していたら、悲劇はなかったのでは、加賀から発進して、哨戒中の零戦防空隊 9機は、どうしていたのでしょうか、間が悪かったのか、考えさせられます。この空母は、次に建造された空母飛龍と一緒にペアをくんで、第2航空戦隊を構成し、太平洋戦争初期に、たくさんの武勲をたてました。2隻並ぶと壮観です。なぜか、艦長は、レーダーの専門家の柳本柳作大佐で、もう少し、敵を発見するのが早ければ、と思われます。
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