第8回 日本海軍航空母艦 隼鷹№3 2011年11月13日就役

読者の皆さん、おはようございます。昨日は、日曜日の昼過ぎから、昼寝をしていて、先ほど目が覚めました。20時からの大河ドラマ、江が、最終回なので、見ようと思っていたのですが、残念、再放送でも見ようと思います。本日のご紹介は、第4航空戦隊 旗艦 隼鷹【じゅんよう】です。下の画像が、その側面です。
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じゅんようは、日本郵船と海軍のジョイント契約で、海軍が大半の資金を負担する代わりに、いざ、有事の場合は、軍艦に転用するという契約で、建造が始まりました。奈良県橿原神宮から名を取って、橿原丸となるはずでしたが、建造途中で、太平洋戦争が始まり、空母に改装されました、速力25ノット、速度約50キロ、作戦航空機 57機を搭載でき、蒼龍に匹敵する航空母艦でした。あたらしい事も挑戦されていて、次期新型不沈空母の大鳳の艦橋図面をじゅんようで採用し、煙突を、側面から、上面に、日本の空母は、小さく狭い艦橋ばかりでしたが、艦橋を広く大きく取りました。この形式は、大鳳信濃と続いていきます。昭和17年4月に就役、第4航空戦隊旗艦となり、角田少将が司令長官として座乗、同年6月は、ミッドウエイ海戦と同時に行われた、アリューシャン列島攻略作戦に参加し、主力として初陣しました。同年8月の南太平洋海戦では、第2艦隊の近藤中将の指揮下で、行動していましたが、第3航空戦隊の翔鶴、瑞鶴が、撃破され、後退すると、第2艦隊から分離し、出撃、米軍艦載機より、日本の艦載機の方が、航続距離が長いのを利用して、敵の行動範囲外から、攻撃機を発進、攻撃、敵空母、エンタープライズ、ホーネットを大破、炎上させました。そのまま、全速で、作戦海域に進出し、攻撃隊を収容し、急速離脱して、米軍から、角田提督は、恐れられました。その後の主要海戦にすべて出陣しましたが、破損はしたものの、沈没せず、戦後は、復員船として、活躍しました。
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このモデルは、静岡県田宮模型の製造で、よく考えて、金型が作られ、サクサクと組み立てられます。隙間があるとか、穴がないとか、不具合はありません、自分たちで、組み立ての検査をして、出荷しているからだと思います。また、好感が持てるのは、エレベーターで、特に後部のエレベーターは、飛行甲板のフタを取ると、二段格納庫が再現されていて、このクラスの模型では、このじゅんようのキットだけです。金型の設計者の意気込みが伝わる商品です。艦橋も、細かい部品があって、精密に再現してありますが、実際組み立ててみると、苦にならない程度に、まとめてあり、航空母艦のキットの中では、1番の○印です。
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飛行甲板のデカールがついていないので、すべて手書きの白線ですが、凹凸が、良く出来ていて、周囲に白の塗料が広がりにくく、書きやすい飛行甲板の部品です。要望としては、最近の研究で、後部に、ジの白字が、書かれていたことが、わかっていて、飛行甲板後部の表面を少し検討していただけたら、さらに良くなると思います。ま、このままで、筆者が後部に字や、赤白で模様を入れれば良いのでしょうが、低レベルの人たちのことも考えていただければと思います。読者の皆さんも良かったら、このキットに挑戦してみていただけたらと思います。定価が3000円程度で、組み立ては、2日程度でしょうか、筆者は、ぼちぼち組むので、7日程度かかります。それでは皆さん、又今度、よろしくお願いします。