第40回 第2次真珠湾攻撃の真相を偲ぶ。
読者のみなさん、おはようございます。
正月休みは、よいですねー。毎日が日曜日のようで、朝方から寒波で、零下の温度、雪のところが多いようで
す。
年末に、お小遣いをはたいて、アニメの太平洋戦争物の、【決断】を購入した話しを読者にしました。
感想をまとめて続けてやると、退屈する読者もいらっしゃると思うので、少しずつ、日を置いてやっていこうと思い
ます。
第1巻は、5話まで入っているのですが、その1番はじめの真珠湾攻撃についての決断をご紹介します。
このアニメ、昭和46年放送ですから、いまから40年ほど前の仮面ライダーの時代のアニメです。
始まりから、終わりまで、だいたい、よくある真珠湾攻撃のストーリーそのままで、アニメが進んでいきます。
最後に、赤城の艦橋の中で、第2次攻撃をするかしないかの、議論が紹介されています。
参謀長が、なにもせずに引き上げる方を主張し、航空参謀が、第2次攻撃を強く主張し、南雲長官が、どちらに
するか、決めあぐねて、空母蒼龍の艦橋では、山口少将が、第2次攻撃を意見具申して、発進準備完了で、
待機して、イライラしていて、南雲長官が、引き上げを決めたら、軍刀を持って、赤城に談判にいくと、大騒ぎする
設定となっています。
しかし、本当のところは、どうだったのでしょうか、過去の文献によると、はじめから1回の攻撃のみで、撤収する
ことが決まっていただとか、いろいろな人が、いろんな説を主張されています。
ここで、重要なのは、後日、淵田大佐が、「あのときに、エンタープライズを撃沈していたら、後の戦局は、大きく
かわっていた。」と、残念がられていた記事を見たことがあります。
しかしながら、淵田氏は、赤城の艦橋に当時おらず、真相は闇で、源田航空参謀も、戦後、多くを語らず、
本当はどうであったのでしょうか、空母加賀が、新型魚雷を100本積んで、ヒトカップ湾に到着、各空母に、配分
して、6隻で割ると、1隻平均16本、ということは、1回の攻撃で使用してしまい、2回目の魚雷はないことになり
ます。
爆弾も、あるのはあったのであろうが、そんなに残量がなかったのでは、とも推測できます。
これを結果的に、見逃して、ガソリンタンク類、海軍工廠の設備類を、残して攻撃しなかったと、批判があります。
これを攻撃して、叩いておけば、大きく戦局が変わったと思います。
確かに、終わった後に、評論家が、どうのこうのと言うのは、いつものことですが、後日の事を考えると、攻撃して
おくべきであったと、筆者は考えます。
筆者は、本当の事実は、当事者が戦死したり、その他で、不明ですが、第三者としていえるのは、この後の珊瑚
海海戦、ミッドウェイ海戦でも、共通していえることは、索敵のまずさではないでしょうか。
魚雷を海中投下して、攻撃隊が着艦しています。
その間、上陸部隊護衛の空母祥鳳が、集中攻撃を受けて沈没、この間、敵の空母の位置は、不明でした。
ミッドウエイ海戦も直前まで、敵空母の位置が、不明でした。
索敵を十分していたら、違った決断で、歴史が変わったと思います。
新年の1番目の完成のモデルは赤城です。
年末の完成の加賀同様に、銃座などの板の部分を、ブラウンに塗装してみました。
ご指導があったように、艦橋下に、飛行予定などを書く、黒板をつけて見ました。
当時、赤城の艦橋では、どんなことが、議論され、決断されたのでしょうか、帰り道に、敵と会敵を予想して、
弾薬、燃料を考えて、引き上げたのでしょうか、南雲長官は戦死、その他は、戦後多くを語らず、謎のままです。
読者の皆さんも、なにか、ご存じのことがありましたら、投稿で教えていただけたらと思います。