第11回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第10話 古式泳法 観海流を習う。  2012年2月13日 月曜日投稿。
 
 
 
 
 
 
 
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                       【当時の絵はがき 伊勢の二見浦風景】
 
 
 
翌日の早朝、二見浦の海岸に行って、全員集まり、浜に集合したのです。
 
自分のふんどしには、淵田でなく、多幸と書いてあるふんどしを着けている物です

から、みんなが見て、大笑いされまして、「たこ、たこ。」と呼ばれ、真っ赤になって、

大変恥ずかしかったのです。
 
しばらくして、師範の山本氏の簡単な挨拶の後、家元の山田というおじいさんが、

ふんどし姿で前に立ち、挨拶したのです。
 
古式泳法、観海流 【かんかいりゅう】とは、武州 忍藩の侍、宮発太郎が、諸国

の戦国時代から伝わっている水軍の泳法を見聞して、考え出した、長時間の遠泳

に適した泳法である。
 
いざ、軍艦が、沈没などしたときには、長時間の水泳が必要であるが、この泳法は、

諸氏の役にかならず立つと信ずる。
 
観海流は、宮発太郎が、津藩を訪れた際、城代家老の藤堂高克【たかよし】の前で

泳ぎを演武し、宮の泳ぎが、「海を観ること陸のごとし。」と発言され、この発言より、

津藩では、宮の泳法を観海流と名付け、わが祖先、山田雀助が、秘伝の伝授を

宮発太郎から受け継ぎ、津藩の藩校、有造館で、正式の藩の泳法として、今日まで

伝わった物である。」と色々と説明を受けたのです。
 
「本日は、見本として、我が、観海流の見本をお見せする。」と行って、弓矢と扇を

家元と、師範で持って海に入り、沖合まで、水に濡らさず、持っていき、師範が、

大きな扇を開いて、頭の上に持って構えて、家元が、弓をきりきりきりと引いて、

矢を放つと、まとの扇を射貫いたのです。
 
見ていた生徒は、「おー、はぁー、。」と、口をあけたまま、眺めていたのですが、

海軍将校も、「ほうー。」と感心していたようでありました。
 
師範が、「水に入る前に、海軍体操を行う。」といって、間隔をあけて、体操隊形に

広がるように言われ、このとき海軍体操なる体操を、初めて経験したのでした。
 
 
【次回につづく。】