第77回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語。】

第76話 日本史の試験を受験する。                       2012年4月24日 火曜日投稿。
 
大正9年8月9日 この日は、55年を経た、現在でも印象深い、人生のつまずきの一日の始まりであった。
 
が、もっともこの一日のおかげで、人生の仕組みが色々と変化し、おもしろい人生になった日でもあった。
 
早朝起床して、井戸で行水して、冷たい冷水を頭から浴び、しゃきっとした、気持ちになり、朝食を食べた。
 
女将が昨日同様に、お弁当と水筒を作ってくれて、渡してくれた。
 
「今日の夜も泊まりたいので、部屋を御願いします。」と頼むと、「がんばってきなさいよ。」と親切に言葉をかけて
 
くれた。
 
朝の7時過ぎに、宿屋を出て、38連隊に向かって歩いて行った。
 
朝だというのに、うだるような暑さである。
 
38連隊の正門を立ち番の兵士に挨拶して、通過して、連隊講堂の前の受付に行き、名前を申告して、086番と
 
番号のある席に着いた。
 
しばらくして、昨日の海軍士官が、講堂に入ってきた。
 
「全員 起立、 傾注、これから本日の予定を説明する。」  「まず、0900時より1100時まで、日本史の試
 
験、1300時に合否を掲示、 1340時より1540時まで、英語の試験 合否の発表は、1630時とする。
 
尚、1300時において、不合格者は、英語の試験は受けられないので、そのつもりで。」と話しがあった。
 
その海軍士官は、我々の顔を見回した後、静かに、机と机の間を歩きながら、続けた。
 
「海軍では、海外に軍艦などで移動することが多いので、外国語は必要不可欠である、最近では、シナ語、
 
フランス語なども、必要になってきている、特に英語については、通常の会話程度は、出来る様にならないと、
 
海軍兵学校に入っても、ついて行けないと思われるので、本日の試験は、がんばるように。」と話しがあった。
 
ここにいたって、英語の試験がどんな問題なのか、心配になってきたのであるが、まな板の上の魚で、
 
どうにもこうにも、あがいても仕方がない。
 
日本史の答案の配布があった。
 
全部で、5問で、はじめの問題は、やはり予想通り年号であった。
 
仏教が日本に伝来した年を記述せよ。とかいう問題で、年号を覚えていないと回答不可能である。
 
自分は、仏教が伝来した年は、ごみやが来た年と覚えていたので、なんなく 538年と回答した。
 
その次は、人名の虫食い問題で、すこし、考えさせられたが、なんとか回答できた。
 
最後の問題は作文で、日本海軍における勝 海舟のはたした、役割について、簡潔に述べよ。と書いててある。
 
さーーて、困った。
 
勝海舟という人は、本で読んだことがあるのであるが、海軍ではたした役割を簡潔にと言われてもーーー。
 
この問題をぎりぎりまで考えて、何とかそれらしく記入して、提出した。
 
1055時、試験終了直前で、5人の中で、最後に答案を提出したのであった。
 
【次回に続く。】