第101回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語。】

第100話  稲刈りを手伝う。                         2012年5月18日金曜日投稿です。
 
朝、山口さんの家に、歩いて行って、「おはようございます。」とぺこりと、頭をさげて挨拶した。
 
親戚の人なども、数人手伝いに来られているようで、何を手伝ったらよいのか、皆目わからない。
 
8時から、みんなで田んぼに出た、一面黄金色で、広い田である。
 
山口のおじさんが、近寄ってきて、「手ぬぐいを顔に巻いて、口と鼻を、おじさんのように、ふさいで、そうそう、そう
 
いう感じで、頭の後で、手ぬぐいを結んで。」と指導されるままに、手ぬぐいを顔に巻いた。
 
「なるべく稲の根を踏まないようにして、おじさんの後から、続いて、虫を追い払うので、まねして着いてきな
 
さい。」
 
という、そのまま山口のおじさんに、つづいて、黄金色の田に入っていった。細い竹の棒で、稲の穂がいたま
 
ないように、ざーーーと、180度、回すと、ホコリりのような虫が、さざーーと飛んでいく。
 
当時は、農薬などまかなかったので、虫がたくさんいて、米の形が悪かったらしいのだが、現在から考えると
 
その方が、自然で安全な米だったのかもしれない。
 
山口のおじさんの後に続いて、稲を踏まないように、足下に気を配りながら、同じようにするわけであるが、
 
首やら、耳やら、いがいがしてきて、どうもかゆい、小さな虫が、入ったのかもしれない。
 
30分ほどして、少し休憩になった。
 
山口さんの親戚の奥さんが、わきとりにお茶をいれて、お手ふきと一緒に持ってきてくれた。
 
山口のおじさんが。「校長先生のぼんさん、遠慮せずに、手と顔を拭いて、お茶をのみなさい。」と、勧めて
 
くれたのであった。
 
親戚の手伝いのおじさんが、「山さん、今年は、まずまずのできやのうー。」と言うと、山口のおじさん、「そうや
 
が-、しかし、なんちゅうても、地主に半分も小作料で取られるのは、かなわんのー、とんだくたびれもうけで。」
 
「仕事しても、仕事しても、一向に裕福にはならん、はぁーーーーー。」と、お茶を飲みながら、ため息をついた。
 
当時の日本の農村は、農作業しない地主が、土地を所有し、小作農が、耕作して、出来高の半分を、借地料で
 
受取り、税金を国に納めて、一定の高額な税金を納付すると、選挙権がもらえて、投票など出来るのであるが、
 
小作農などは、投票権などなく、当然、女性の投票権などないのが、当たり前の時代であった。
 
【次回に続く。】