第102回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第101話 稲刈りを後で手伝う。 2012年5月19日土曜日の投稿。
男の人たちが横一列に並んで、稲刈りが始まった。
大正の当時は、現在のような、便利な稲刈り機などはなくて、鎌と手の作業である。
自分の仕事は、昨年のワラを、納屋から出してきて、女の人と一緒にばらして、男が刈り取った稲を、コメが
落ちないように、上手にまとめて、ワラで縛って、まとめていくことであった。
戦争で言えば、後方支援のようなものである、はじめは、なれないので、仕事が遅かったのであるが、次第に、
他のおばさん達と同様な、速さで、稲を縛れるようになった。
ここで、勉強したのであるが、いくら早く縛っても、バラバラになるようでは、よけいに仕事が増えるのである。
何事もそうであるが、一つ一つを、時間が、かかつても良いので、確実に済ませていく、こう言う事が大事である。
いい加減なことをして、稲束のなかに、いい加減な、稲束を混ぜてしまうと、ばらけたり、後の作業に、影響
するのである。
稲は、どんどん刈られていき、稲束も、どんどんと増えてきた、11時頃であったか、山口さんの奥さんが、
「あんた、そろそろの昼の準備をせにゃーならんがのー。」と言うと、横一列で、稲を刈っていた、男達が、
稲を刈るのをやめて、全員納屋の方に、入っていき、竹や木の棒を担いできて、田の刈り取りがすんだ場所
に支柱を組んで、長い竹竿を渡して、稲干しを作っていた、女達は、昼の準備か、台所の方にいってしまった。
われ我が、束を作った、稲を竹竿の上から、かけていくのである。
そのうち、ひとつばらけた稲束があって、それを見て、まずい、自分の縛った稲束だと感じたのであった。
男達は、手慣れた物で、どんどんと、稲束をかけていって、あっという間に、我々の縛った、稲束は、なくな
ってしまった。
そうしていると、お茶やら、おにぎりやら、おしぼりを持った、おばさん達が、台所から出てきた。
山口のおばさんが、「校長先生のぼんさん、シカさんの昼をおばさんと一緒に、持っていこうかネー。」と
声をかけられたので、「これはーすいません。」と、受け答えしたのであった。
【次回に続く。】