第130回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語。】

第129話  教頭先生のため息。                   2012年6月17日 月曜日投稿です。
 
「はぁーー。」とため息をついた教頭先生は、「この国は、神国で、我々の命も、天皇陛下の物なので、日夜、
 
拝礼司るのはよいが、学校は人殺しの教育をする場所ではない、という先生方が多いのだよ。」
 
「学校は、学問をするところで、銃を撃ったり、人を突き殺す教育をする場所ではない。そういう意見が、
 
先生方から、複数出てね、そんなこと、陸軍の将校に言うと、どのような災難がくるかもわからんし、困った物だ
 
よ。」と、しょんぼりとしていたのであった。
 
今思えば、その通りで、学校は、学問をするところであるが、当時から、だんだんと軍事教練などが、学校に
 
入ってきたのであった。
 
当時の天皇は、大正天皇であるが、この大正9年頃から、体調不良を理由に、宮城から、行幸されなくなり、
 
代わりに、皇太子【のちの昭和天皇】が、摂政として、天皇の代行を行うようになったのであった。
 
一説には、大正天皇は、きちがいであったとか、精神異常者であったとか、戦後いろいろな話しが、出回って
 
いたが、当時は、ご病気と言うことになっていたと思う。
 
ちょうどその頃、海軍大臣山本権兵衛大将は、人事の山本と言われたほどの、やり手の軍人政治家で、
 
伊藤博文亡き後、陸軍と結んで、政界を徐々に掌握して、原 敬内閣総理大臣を、追い落としを画策し、
 
翌年、軍人政治に障害となる政党政治家を排除していくのであった。
 
教頭先生の心配をよそに、時代の流れは、そんな軍人政治家の影響で、教育の現場は、徐々に、軍国教育
 
の機関となっていくのであった。
 
自分は、教頭先生には、丁重に挨拶して、職員室を後にして、家路を急いだのであった。
 
【次回に続く。】