第131回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第130回 当時の権力闘争。 2012年6月19日 火曜日の投稿です。
畝傍中学の校門を出て、家路を急いだ、冬の夜は、早く暗くなるのである。
帰り道、毎日、新聞を配るのであるが、頭の中の記事を整理して見ると、当時の政局の構造は、複雑であった。
元新聞記者で、独自の情報網を持ち、後に、この人は、外務官僚の役人になり、、
当時の陸軍や、政権中枢は、長州出身の山縣有朋が、強固な派閥を作り、要職を独占、
意に反する、軍人、政治家を追い出して、明治天皇も、眉をひそめる存在であった。
山本権兵衛が、海軍を手中に収めていたのであった。
原 敬は、岩手出身のため、どのようにしても、出世が出来ないと考えて、政治家に
転進し、独自の調査で得た、スキャンダルを小出しにカードを切りながら、山縣と、山本の
間をうまく立ち回って、総理になっていたのであった。
スキャンダルとは、汚職の情報で、山縣は、普請道楽と言われるほど、建物や、庭を造る趣味
があったのであるが、莫大の費用がかかるのであったが、当然そのような金の出所は、
公費だけでまかなえず、絶えずくろい噂が続いていた。
又、海軍の山本権兵衛も、軍艦建造に対するくろい噂が、絶えずつきまとっていた。
ドイツの業者から受注の見返りに、多額賄賂が、軍部に流れ、山縣周辺に、渡っていたので
あった。
原たちが、海軍を牽制するために、新聞にリークしたのが、戦艦 金剛に関する、汚職事件で
あった。
【建造当時の戦艦 金剛 汚職の舞台となった戦艦でもあった。】
当時の海軍は、軍艦の建造は、主にイギリスに注文して、建造していた。
しかし、徐々に、国内の造船所で建造されるようになり、計画には、仕事を受注するため、
いろんな政治家、軍人が、間に入り、甘い汁を吸っていた。
原たちは、イギリスのピッカーズ社からの、金剛建造受注工作のくろいお金の話しを、新聞に
情報をながしたのであった。
山本たちは、証拠を隠滅し、数人の将校が、1人40万円という、当時のお金としては、多額の
賄賂を受け取った、収賄事件として、処理したのであるが、陸軍、海軍、政友会とで、相手の
弱みを捜して、刀のつばぜり合いを行っていた、
原たちは、選挙を導入して、山縣の派閥の知事、首長を、選挙で合法的に駆逐さしていき、
山縣たちも、抵抗していたのであるが、要所要所で、自ら係わる汚職の記事が、新聞に出て、
後始末に追われ、トカゲのしっぽ切りで、うやむやにする、そんな時代であった。
そんな、汚れた政界で、大正天皇は、体調不良で、療養されることになり、摂政として、
であった。
【次回に続く。】