第137回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第136話 広島の加計の正月。                      2012年6月25日 月曜日投稿
 
もう一人のこの物語の登場人物 源田實【げんた みのる】は、淵田美津雄より、1歳年下の、明治37年8月1
 
6日に、広島県の山奥の加計町の農家の8人兄弟の次男として、生まれた、父は、春七という、農業を営む家で
 
あった。
 
この家、子供たちは、出来が良く、長男は当時は珍しかった、大学進学をしていて、秀才の誉れが高かった。
 
次男の實【みのる】も、小学校では、甲をすべてそろえ、中学は、当時海軍兵学校の合格率が高かった、進学校
 
の広島第1中学校に、進学し、正月休みで帰省していたところである。 
 
広島市から当時、2時間程度、中国山地に入った、のどかな農村であった。
 
広島暮らしは、寄宿舎生活で、自由が制限されていたのであるが、自分の家はよい、のんきな物である。
 
2人の妹が、久々に帰ってくると、「にいちゃーーん、あやとりしよう。」と、まとわりついてくる。
 
いつもかわいい2人である。
 
後の2人の弟は、いたずら盛りの悪ガキで、突撃戦争ごっこしているようで、がんぼながら、正月くらいは
 
おとなしくしているようである。
 
長男も、正月休みで帰省していて、趣味の庭球の試合の話しなどを、母と楽しそうにしている。
 
久々に、家族が揃ったので、源田の家は、和やかな雰囲気で、大正10年の正月休みを迎えたのであった。
 
正月休み早々、新聞に、千葉市に、陸の鉄の戦艦部隊創設サルの記事を注意深く読んで、西欧で、行われ
 
ていた、第1次世界大戦で登場した、新兵器のことを考えていた。
 
今、最新の兵器でも、新しい物が出てきたら、役に立たなくなってしまう。
 
海軍士官になって、何を成すべきか、ーーーーーー。
 
海軍兵学校の生徒に、何になりたい、何に乗りたいと聞くと、大方の生徒が、戦艦に乗りたい、将軍になりたい
 
と、回答するであろうが、本当にそれでよいのであろうか、ーーー・
 
  
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            日露戦争で活躍した、大砲は、そのうち、使い物にならなくなるのではないか、
 
 
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           第一次世界大戦では、多くの毒ガスが、戦場でまき散らされ、白い煙を吸い込んだ
 
           兵士が、多数死亡し、多くが、肺をやられて、後遺症に苦しんでいると新聞に出ていた。
 
           戦艦に乗っていたとしても、新兵器の毒ガスを打ち込まれたらひとたまりもない。
 
    
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                      自分がも興味を持ったのは、飛行機であった。
 
             空を自由に飛べる、鉄の戦艦といえども、空から雨のように落下してくる爆弾には、
 
             かなわないであろう。
 
            お城や、要塞などにしても、上から大きな爆弾が落ちてきては、塹壕や、コンクリート
 
            壁も、役に立たない。
 
            たくさん競争相手がいる、戦艦乗り組みより、飛行機は、将来可能性がありそうだ、
 
             大空を飛んでみたい、昨年の新聞に、当時、イギリスから、海軍が、パイロットを招いて、
 
             土浦の阿見と言うところで、航空訓練をしていると記事が出ていて、ぜひ参加したい、
 
            操縦を習って、この加計の空を、ウィーーーんと飛んで、妹たちを驚かしてやりたい。
 
            そんなことを1人で考えていたのであった。
 
   【次回に続く。】