第200回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第199話 母の病 2012年8月28日 火曜日の投稿です。
ていた、視力検査に、難なく合格して、五条の町のお店で、鮭の干物を衝動買いして、家族で食べて楽しんだ淵田
家であったが、早朝、どうも母のシカが、腹部を押さえて、腹痛を訴えたのであった。
朝の3時半頃、美津雄が目が冷めて看病したのであるが、どうもいけない、又、昨年入院していた石井医院に、
行こうかと考えたのであるが、あそこに行っても、全然病状は良くならない、もう少し離れた、大きな建物の杉浦医院
に行くことにしては、と、考えて、 起きていた父に、相談したのであった。
父は、学校で仕事があるので、「うーーん、シカ、大丈夫か。」と聞きながら、考えていたのであるが、早いほうがよ
いだろうと考えて、大八車に、布団を乗せて、母を寝かせて、財布と、水筒を持って、杉浦医院に、二人で車を引きな
がら、家を出たのであった。
まだ、暗闇の中を、大八車を引いて、医院までの道のりを、急いだ。
五条の町まで来ると、薄暗く夜明け前の薄暗い中を、町中を抜けて、さらに、橿原神宮の前を通って、北に
急いだ。
杉浦医院まで、何とかついたが、早朝のため二人の看護婦さんしか当直で、誰もいなかった。
奈良では当時比較的大きな医院で、当直の看護婦さんに無理をたのんで、病室に担ぎ込んで、あいていた、
病室のベットに母を寝かしたのであった。
医院の先生が来るまでは、少し時間があるらしい、父はなにやら、母の手を持ちながら、考え混んでいたのだが、
「美津雄、すまんが、葛城に引き返して、とうさんの学校に行って、今日の顛末を教頭先生に伝えて、休む旨を伝え
てきてくれないか、父さん、母さんのそばにいるから。」と、言われたので、「はい。」と、返事をして、病室を出たの
であつた。
当時は、現在のように、電話もないので、大変な時代であった。
【次回に続く。】