第201回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第200話 磐城村小学校に行く。 2012年8月29日 水曜日投稿です。
父に職場への伝言を頼まれて、病室を出ると、誰もいない病院の廊下を歩いて外に出た。
杉浦医院を出て、又、大八車を引いて、葛城村に戻ったのであった。
朝ご飯も食べてないので、くたくたであったが、そのまま急いで、戻ったのであるが、五条の町を
通過する頃になると、ずいぶんと日が上がって、朝の人通りが、多かった。
五条の町中を大八車を引いて、小走りで急いだのであった。
父が校長をしている、磐城小学校までは、ずいぶんとあって、始業時刻までには、間に合いそうになかった。
日もずいぶんと高くなり、やっとの事で、自宅に戻り、大八車を納屋に入れると、井戸端で、水をごくごくと飲んで、
すぐに小学校に向かって出発した。
今頃小学校では、父が学校に来ないので、騒ぎになってなければ良いのであるが、学校についたのは、もう、
10時がまわって、昼に近かったのであった。
よたよたとしながら、下駄箱の入り口を通って、職員室に向かい、引き戸をたたいて、中に入ると、2名程度の
先生がいたのであったが、初対面で、誰が教師で、誰が教頭かわからなかった。
「あのー、淵田の息子ですが、教頭先生は、いらっしゃいませんか。」と問うと、「あーー、校長先生の息子さん
ですか。校長先生は、どないされました。」と聞かれたので、「実は、早朝、母親が、病状が悪化しまして、二人で、
病院に運びまして、父は付き添いで、病院におりまして、父に頼まれて、教頭先生にお伝えに上がりました。」
と、言うと、教頭先生は、「それは、朝から難儀でしたな、お母さんは、大丈夫ですか。」と言われたのであった。
「母は、寝たきりでして、今日朝、急に悪くなりまして、ご迷惑をおかけします。」と、こんな会話をしたのを記憶
している。
【次回に続く。】