第203回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第202話 大山の新聞屋のおじさんの話、
葛城から、五条の町に向かっていると、以前新聞配りで、お世話になっていた、大山のおじさんにであった。
「校長先生のぼんさん、どうしてる。」と、聞かれたので、今日の早朝からの出来事を話したのであった。
大山のおじさん、ずいぶんと黙って聞いていて、しばらくして、「車の通る道があればの話しだが、ぼんさん、
最近、奈良に車屋と言うのが、出来たらしい、新しい商いで、途方もない金額の車で、人を運ぶのが仕事らしい。」
そんな話しを教えていただいたのであった。
大正時代の当時の車というのは、みんな輸入車で、家が数軒買える程度の途方もない値段で、
政府の関係者か、軍隊の連隊長クラスの大臣さんぐらいしか、乗れなかったのであった。
そんな車があれば、今日の母さんを大八車で、運ぶのもずいぶんと楽であったろうに、
と、大山のおじさんの話を、聞いたのであった。
丁重に、大山のおじさんに礼を言って、トコトコと、杉浦医院を目指して、歩いたのであった。
美津雄は、杉浦医院に、着くと、廊下を上がって、母の病室に行ったのであった。
母は、スヤスヤと眠っていたので、父に、小学校の教頭先生の伝言を伝え、持って来た水筒と、
にぎりめしを、父に渡したのであった。
父は、病室を出ると、建物の端の廊下の長いすに腰掛けて、「はぁーー。」と、ため息をついた。
父は、朝も、昼も食べていなかったようで、「美津雄、良く気がついてくれた。」と喜んで、
くれたのであった。
風呂敷に包んできた、お金と、母の着替えを、手渡すと、「病院の先生は、どこがいかんちゅう
とるの。」と、父に聞くと、父は、おにぎりを食べながら、「体の下腹の中に、できものが出来て、
いるのではないか、上から押すと、硬いので、できものが広がって、痛みとかを伝える神経を
圧迫して、痛みが出ているのでは、と言われたのであるが、いかんせん、体の中のことなので、
開けて見るわけに行かず、ここの医院では、手のほどこしようがないというのだよ。」と、困った
顔をして、父は説明してくれたのであった。
【次回に続く。】