第222回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第221話   試験中に移民推奨の記事を思う浮かべる。       2012年9月19日水曜日の投稿です。
 
 問の3番の、横浜港から、シアトル港までの距離は、何海里かという、問題がわからず、ただいたずらに、時間が
 
経過していた。
 
  このままでは、昨年の英語の試験に行く前に、落第してしまう。
 
目を閉じて、横浜港のことを考えて見た、当時の横浜港は、貿易港でもあるのであるが、移民の出発点でもあった。
 
 
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 農村では、次男、3男などは、仕事が無く、家を手伝っていても、食べていけず、人々は、都会に出るのであるが、
 
不景気で、仕事はなく、社会問題となっていたのであった。
 
  政府は、この問題を解決するため、移民を奨励し、当時その場限りの好条件を宣伝していたのであるが、
 
美津雄が、新聞配達していたころの、新聞の広告記事が、頭に思い浮かんだのであった。
 
 まてまて、そうや、そうや、たしか、奈良の38連隊と、同じ数字やったと、いつか、ちらりと見たのを思い出した
 
のであった。
 
 答案に、380と書いたのであるが、380海里では、距離が短すぎるし、0を追加して、3800海里と、記入しな
 
おしたのであった。
 
 
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         たしか、アメリカのシアトルまで3800海里のはずであったが、自信がなかったのであった。
 
 
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            裕福な、自由と希望の国への移民推奨との、記事であったと思ったのだが、どうだったか、
 
 
            こんな事なら、じっくり新聞を見ておけば良かった。
 
 
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         時間は、11時を周り、そろそろ前の教卓に答案を出して、退出していく生徒が出てきた。
 
 
       うーーーん、これでよかったのかいのーーと、じっと考えこむ淵田美津雄であった。
 
 
【次回に続く。】