第242回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第241話  大正10年5月7日の奈良歩兵38連隊の事          2012年10月9日 火曜日の投稿です。
 
 しばらくして、女将が、「淵田さん、待たせたわね、おばちゃん、弁当作ったから、水筒と、はいこれ、」と言って、
 
弁当を渡してくれた。 
 
 手で、手招きして、こいこいをするので、はぁーーと、近寄ると、左手を耳のそばに持って来て、「ほかの、生徒さん
 
がいらっしゃるから、大きな声で言えないけど、おばちゃん、客部屋の掃除が済んだら、合格するように、仏壇に
 
手を合わせて、拝んでいるさかい、がんばるのよ。」と、励ましてくれたので、「問題は、昼からの英語の試験です。
 
去年の事もありますので、心配ですが、肉弾となって、砕ける覚悟で、臨んでまいります。」と、言うと、
 
心配そうに、玄関まで、送って出てきてくれたのであった。
 
 
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     淵田美津雄は、大和屋をあとにすると、奈良歩兵38連隊に向かって、歩いたのであった。
 
 
         
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                 葛城の山奥と違い、奈良は、人通りが激しく町であった。
 
      最近、電信という、技術が発達して、電信柱という物が、どんどんと奈良の町に、たてられ、
 
      家々に、電気という物が、行き渡るようになり、ランプから、電灯に変わっていき、夜の人々
 
      暮らしが、変化しだしたのも、この頃であった。
 
 
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     しばらくすると、奈良歩兵38連隊の門が見えてきたのであった。
 
立ち番の兵士に、「奈良県立畝傍中学卒 淵田美津雄 海軍兵学校 入試の為入ります。」と、挨拶すると、
 
「入って良し、今日は、あそこの講堂のところで、受付をして、指示に従うように。」と、指示があったのであった。
 
講堂の所へ行くと、受付の兵士が、「受験番号は、」と、聞かれたので、 「はっ、受験番号1020番 淵田美津雄
 
であります。」と、返事をすると、「なんだ、浪人組か。」と、ギロりとこちらを見られて、「1番角の奥に行くように。」
 
と、指示を受けて、建物の中に入ったのであった。
 
【次回に続く。】