第291回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第290話 大正10年5月9日の昼の出来事、 2012年11月27日 火曜日の投稿です。
一人だけ早く、兵員食堂に着いた源田實は、 食堂の指定された、木製の机に、腰をかけたのであった。
同じ広島市内の修道中学の生徒が、しょぼんとして、考えこんでいるので、「 わりゃ どしたんなら。」と、
声をかけると、「わしゃーー、いけんわーー、朝鮮の連隊の番号か、わからんでのー、おおじょう したん
じゃ。」と、落ち込んでいるようであった。
1問間違うと、もうだめの兵学校の試験で、致命傷である。
人ごとでは無い、次の作文の試験も、どんな問題が出るのか心配であった。
食堂内では、配膳の担当の兵士が、忙しく働いていて、声もかけるのが。悪いような感じで、時間に追われな
がら、仕事をしていた。
井上や、重森や、石村達が来る前に、弁当を広げたのであった。
今日は、チヌ飯じゃ、 うまそうじゃのうー。 加計の家にいるときは、山の中だったので、
魚などは、川魚か、干物程度であったが、広島の下宿に来てからは、魚の美味しいのが、
食べれるので、何ともありがたい、
この魚の話しを弟にしたところ、「えーーのーー、にいちゃん 、わしも、1中へいって、
原酒造の下宿に入りたいと、言い出して、急に勉強をするようになつたと、母親が、ニコニコして
いたのであった。
当時の弟の幸夫は、柔道ばかりして、勉強しないものだから、母が口やかましくいっていたと
ころであるが、 幸夫のやつ、食い物には弱いらしい。
正月休みに、母から、「實、幸夫になにしたんねー、急に勉強しだして。」と、問いただされたので、
「お尻のネジが緩んでいたので、ネジを巻いといた。」と、会話したのを記憶している。
【次回に続く。】