第347回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第346話  海軍兵学校、口頭入学試験の事。  2013年1月23日 水曜日の投稿です。
 
 
 海軍大尉の、「尊敬する歴史上の人物は、誰か。」と言う問いかけに対して私は、

「大楠公です。」と、解答したのです。
 
 海軍大尉が、「楠木正成公のどこが、尊敬に値するのか。」と、問われたので、

「私の自宅があります葛城村は、正成公が、活躍された、赤坂城、 千早城跡が、

身近にあり、少数の人数で、20万人近くの軍勢を相手に、ひるむことなく、戦う、

もののふの精神が好きであります。」と、解答したのです。
 
 
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当時の尋常小学校の教科書には、少ない軍勢で、天皇方の味方について、奮戦し、
 
親子、2代にわたって、忠節を果たしたと言うことにされて、楠木正成の事は、低学

年から、学校の国語の授業で、教えられることになり、天皇のために、命を投げ出

して、国のために、奉公する。 つまり、報国の精神の象徴の教育として、全国で

教えられ、当時の私も、子供の頃からのその教えが、頭にあって、当時は、楠木

正成公にあこがれていたのです。
 
その頃の文部省は、全国に、銅像を建てたり、神社を建てたりして、楠木正成や、
 
乃木将軍や、東郷元帥の神社を建立して、神様にまつりあげて、国民を煽動し、
 
天皇制の政治に利用していたのです。
 
 
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子供の頃からの教育とは、恐ろしい物で、学校で、天皇陛下を崇拝し、尋常小学校

の教師に、繰り返し、天皇陛下に、奉公するよう指導され、何度も、復唱し、 身近

に建立された、神社で、奉られた、砲弾や、鳥居に、手を合わせていると「天皇陛下

のために、命を捨てよう、 命令があったら、ロボットのように、喜んで国のために

死にます。」と、言うようなことになっていき、当時の私は、そんな国民の1人であった

のです。
 
 戦後、GHQの行政命令で、学校の教科書から、このような事は、削除されて、現在

に至っているのであるが、当時の教育とは、今では、考えられないような、学校教育
 
であったのです。
 
当時の教師も、考えようによっては、戦争遂行を推進し、多くの犠牲者を出した戦争

犯罪者と言われても、仕方がない行為をしていたのです。
 
また、反対したら、職場から「非国民。」と呼ばれて、追放されていったのです。
 
      
 
 
      【次回に続く。】