第351回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第350話  海軍兵学校、被服採寸入学試験の事。    2013年1月27日 日曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
  被服採寸が、終わった我々は、軍医の指示で、2階の部屋から、はじめの1階の部屋に、移動して、
 
木の椅子に、3人とも腰掛けて、待機することになったのであった。
 
私は、心配していた、視力検査の、視力不足が、視力検査表を暗記することで、なんとか、切り抜けて、
 
視力不足が、露見する事が、回避出来て、一安心であった。
 
 木の天井板を見上げて、今後はどうなるのであろうかと、考えていると、本日の担当将校の、賀来大尉
 
が、引き戸を開けて、入室してきたのであった。
 
 
 
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 大尉は、「 全員起立。」と号令すると、我々は不動の姿勢で、起立したのであった。
 
「 大正10年度 海軍兵学校 第52期の奈良県会場での一次入学試験をこれをもって、終了する。
 
 きさまらは、千人以上の希望者の中から、3人選ばれたのであるから、今後も、生活態度に、充分
 
注意して、今後の海軍省からの指示を待つように、 申告してある、住所地に次の指示が、軍事郵便、
 
及び電報にて、届くのを待て。 何か質問は。」と、聞かれたので、私は、右手を挙手して、「教えていた
 
だきたいことがあります。」と、 大尉に質問をしたのであった。
 
「よし、貴様の聞きたいことをいってみろ。」と、許可が下りたので、つぎの様な質問をしたのであった。
 
「 受験番号 1020番の 淵田美津雄であります。 お伺いしたいのは、身近に、海軍の将校の方が、
 
おられないので、ぜひ、教えていただきたいのであります。 海軍兵学校の入学試験の2次試験とは、
 
どのようなことを行うのでありましょうか。」と、質問したのであった。
 
賀来大尉は、すこし、無言で、10秒ほど、目をそらして、何か考えているようであった。
 
事前に、2次試験の内容など、生徒に話すと、後日問題になってはと、考えているような、顔つきであった。
 
大尉は、 「今年の2次試験の内容などは、自分の担当外であるので、内容、日時は、あずかり知らない
 
ことである。が、 本日までの、貴様らの努力のはなむけとして、10年前の、ワシの苦労話を聞かせて
 
やろう。」と言って、我々に、着席を指示したのであった。
 
 
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大尉は、「ワシは、海軍兵学校 第42期、 貴様らより、10年前に兵学校を受験した、 会場は、実家が
 
熊本県であったので、 熊本市の会場で受験した。
 
  当時は、採用定員が、現在の3分の1程度で、熊本県では、我が輩1人が1次試験に合格した。
 
ここからが、貴様らが聞きたいことであろうが、自宅に海軍省から、広島県広島市内の病院に集合せよ、
 
と、電報が来てな、 生まれて初めて、汽車に乗って、門司まで出て、さらに山口まで出て、乗り換え、
 
 
 
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乗り換え、乗り換えを繰り返して、広島まで行くとなーー、はじめは、蒸気機関車というのは、珍しくて、
 
乗っているだけで、わくわくしたものだが、 最後は、お尻が板のようになってな、 とても遠くに
 
行ったようであつた。
 
  そこでな、 また、身体検査があってな、病院の先生に、口の中から、ケツの穴まで、調べられるのだ。
 
こうな、よつんばいになってな、 ケツの穴を見せるんだ。」と、言うので、我々3人は、大変心配になった
 
のであった。
 
 
【次回に続く。】