第373回 昭和の伝道師、【戦中戦後のパイロットの物語】

第372話、 母親の帰宅。                    2013年2月18日、月曜日の投稿です。
 
 
 
  5月も、月末になり、 まだか、まだかと、海軍省からの連絡を待っていたのであったが、なしのつぶてで、
 
まったく、電報もなにもこなかったのであった。
 
 
  「どないなっとんかいな。」と、心配していたのであったが、そういう気を押さえて、私は、走ったり、
 
飛んだり、石を投げる練習や、時間を作っては、英語なども、勉強して、過ごしていたのであった。
 
  そろそろ梅雨時で、雨が降る日が多くなるのであったが、 空を見上げて、ふと、道筋に目をやると、
 
遠くから、なにやら、車の音がする。
 
  どうやら、我が家の前で止まったようであった。
 
私は、母のシカと、父のやぞうが、大阪の病院から、帰ってきたのではと、考えて、走って、家に帰ったの
 
であった。
 
  
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                            【大正時代当時の大阪赤十字病院
 
 
  母親は、現在で言う、子宮筋腫のひどい状態の病気だったようで、いろんな病院で見ていただいた
 
 のであるが、良くならなかったので、大阪の赤十字病院に、入院していたのであった。
 
 
 
 
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      私が、家の近くの道に、近ずいた頃、車は入れ違いに、橿原方面に、走り去っていった。
 
 
      私が家に戻ると、父が、寝床の布団などをひいている最中で、母は、すぐに、布団に、横に
 
      なったのであった。
 
 
       父が、「美津雄、長い間留守をしてすまなかった、 大阪の病院にいて、色々と治療してい
 
       ただいて、ほぼよくなったのだが、金銭的に、ずっと、入院するわけにはいかない、
 
       病院の先生とも相談して、家で養生することにした。
 
       ところで、美津雄、兵学校の入学試験はどないやった。」と、父に聞かれたので、1次試験は
 
       合格したんやけど、まだ、2次試験があるんや。」と言うと、「 ほうかーー、まーーそれは
 
      、よかった、よかった。」と、言って。喜んでくれたのであった。
 
       「父さんは、長い間、小学校に行っていないので、これから、学校に顔を出してくるので、
 
        美津雄、お母さんの世話を頼む。」と言って、家を出て行ったのであった。
 
 
 
【次回に続く。】