第382回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第381話  いよいよ、軍都広島市に到着ス。 の事。       2013年2月27日水曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
  1時間以上停車して、やっと動き出した鉄道であったが、 急な上り坂をどんどんと登って行っ
 
たのであった。
 
イメージ 2
 
 
 ここ、八本松には、広島第5師団の演習場が当時あって、数年後、われわれも、つらい体験をさせら
 
れるのであったが、当時は、そんなこと、思いもせず、物珍しく、車窓から、風景を見ていただけであった。
 
すると今度は、急な下り坂になって、瀬野川駅と言うことろに到着すると、また停車して、今度は、二両の
 
機関車を、分離する作業で、また、1時間程度、停車したのであった。
 
 
イメージ 1
 
 
    と、こんな感じに、当時の鉄道は、現在の鉄道旅行と比べて、停車が多く、停車のために、
 
    ゴトン、ゴトンと、ゆれるので、客車で、ゆっくり、寝られるようなものではなかったのである。
 
     前の席の、小池君は、よく寝れなかったのか、「ふぁーーーぁ。」とあくびばかりして、疲れた
 
    様子であった。
 
     客車の中で、兵学校からの書類袋を開けて、同封されていた、広島市内の地図を広げたので
 
     あった。
 
 
イメージ 3
 
 
      当時の広島駅は、京橋川の東側に、第5師団の練兵場があり、その前にあったのであったが、
 
      海軍省指定の紙には、広島市猿楽町【さるがくちょう】いろは旅館指定とある。
 
      小池君に、「広島に到着したら、どうするんや。」と、聞くと、小池君が、「どちらにしても、
 
       1度、宿泊先に荷物をおいて、それから、行動した方が、良いと思います。
 
       荷物を全部持って、ふらつくより、そちらのほうが、段取りが良いと思います。」と、言うので、
 
       私も、そう思って、「ほうやなーー。」と、言って、駅を出たら、猿楽町のいろは旅館に直行する
 
       ことにしたのであった。 
 
 
       そんな話しをしていると、やっと機関車が広島駅に向かって進み出し、いろんな風景が
 
       広がってきたのであった。
 
 
 
イメージ 4
 
 
                    そうして、やっと、機関車は、広島駅に到着したのであった。
 
            「ひろしまひろしまーーー。」と、声がして、 我々は、荷物と、駅弁などの
 
           ゴミ袋を持って、客車を降りたのであった。
 
           駅のくず入れに、駅弁の包みなどを、投げ入れて、改札を済まし、
 
 
イメージ 5
 
 
                           【大正時代当時の広島駅】
 
           駅に到着して、我々2人は、石造りの広島駅の建物を見て、「ほうーー、
 
           立派なもんやなーーー。」と、感心して、見上げたのを記憶している。
 
 
 
 
【次回に続く。】