第396回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第395話 大正10年7月2日早朝の出来事。 2013年3月22日 金曜日の投稿です。
場所は変わって、もうひとりの主人公の淵田美津雄の宿泊する、江田島島内の小用の三谷家では、
早朝、薄暗い内に、私は、いつものクセで、4時前後に、目がさめたのであるが、周囲の寝込んでいる
同宿の人を起こしてはまずいと思い、音をたてないようにして、障子を開けて、土間に出ると、三谷の
老婆は、もう起きて、朝食の準備をしているようであった。
私を見るなり、「 なんねーー、あんた、よう、ねられんかったんじゃろう。」と問いかけられたので、
「 自分は、早朝、新聞配りをしておりましたので、毎日、こんな時間になると、目がさえてくるんです。」と、
「なんちゅーーか、貧乏性で、」と、苦笑いしながら、答えたのであった。
「おばさんも、早いのですね。」と、私が話しかけると、 「としーーとったらね、はよーー目がさめるんよ。」
と、言うので、忙しそうにしているので、「 自分が何か手伝いましょう。」と、言うと、「 だいじょうぶねー。」
と、不安そうな、顔つきで、こちらを見るので、「自分は、母が、寝たきりだったので、よく、家事をやっとり
まして、 なんでも、手伝います。」と、言うと、老婆は、「 ほんまねーーそりゃーーええわ、すまんのん
じゃけど、かまどをおねがいしょうかねーー。」と、言って、喜んだのであった。
「淵田君、あんた、てなれたもんじゃねーー。」と、私を見て言うので、 「自分は、山育ちで、
海辺のことは、全く知らんのです。」と、言うと、 「そのうち、よーーわかるようになるけーー。」と、
そんな話しをしながら、朝食の支度をしたのであった。
ご飯は、麦飯、 焼き魚に、汁、 畑の野菜を煮込んだもの、こんな感じであった。
広島市の猿楽町のいろは旅館の料理と比較すると、質素な感じであったが、
当時は、白米などという物は、銀米と呼んで、高価な物だったのである。
本土と離れているせいか、江田島という所は、魚は新鮮であったが、他の物は、
なかったり、値段が高かったり、 まっ 当時の島暮らしというのは、そんなところであった。
朝の6時頃になると、私は、同宿の生徒をゆさぶって、おこしてまわり、
茶碗を運んだり、色々と、老婆を手伝ったのであった。
老婆は、「 みなさん、離島の漁村で、なにもなーーですがーー。」と、いいながら、
忙しそうに汁をつぐと、私は、はい、つぎ、つぎと、配膳をしてまわったのであった。
海軍兵学校2次入学試験の受験の当日の朝は、食事の準備で、1日が始まったのであった。
【次回に続く。】