第399回  昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第398話  海軍兵学校 通用門、門柱銘板の事。      2013年3月26日  火曜日の投稿です。
 
 
 
  谷井 保 【のちの第17駆逐隊 指令 大佐】2号生徒の大きな声で、「 全員、整列、番号点呼。」と、
 
 
私たちは、30名程度の隊列を成して、整列して、各自番号を元気よく叫んで、小用の港近くの集合場所から
 
各組事、行列を作って、江田島海軍兵学校目指して、徒歩で出発したのであった。
 
 
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  小用からは、少し丘状の峠になっていて、上り坂を登っていき、粛々と歩いたのであった。
 
 
  私は、帰り路を覚えようと、周囲をきょろきょろ見ていると、島民が、我々の行進を、見物
 
していたのが、記憶に残っている。
 
峠をこえると、どんどんと下り坂になっていて、江田内の湾が見えてきたのであった。
 
  私は、横を歩いていた、鹿児島第1中学の福元義則君に、「おいーー、兵学校までもう
 
すこしやのー。」と、声をかけると、福元君が、「 そうでごあすな。」と、 こんな会話をしながら、
 
心を躍らせて、海軍兵学校までの道のりを歩いたのであった。
 
 
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            【当時の海軍兵学校の通用門の写真、レンガ造りのモダンな珍しい造りであった。】
 
 
 
 
    ついに、私たちは、あこがれの海軍兵学校の通用門の前に到着したのであったが、それから、前に
 
   行列が進まないのであった。
 
   私は、「なーーにを、前の奴ら、やっとんかいな。」と、背伸びをしてみていたのであった。
 
    やっと、私たちの組の近くになり、わかったのであったが、門柱の説明を各組で、行って
 
   いるようであった。
 
 
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   当時の兵学校の通用門は、レンガ造りの門柱に、アーチ式で、ランプが中央に、つけてあって
 
   珍しいイギリス風の造りであった。
 
   谷井 保 2号生徒は、大きな声で、「 全員、行進やめーーー、まわれーー右。」と、叫ぶと、
 
    私たちは、海軍兵学校と書かれた、文字銘板を見上げたのであった。
 
   「 花岡3号生徒、一歩前へ。」と、谷井 保 2号生徒が号令をかけると、 花岡雄二3号生徒は、
 
   我々の列より、少し前に、進み出たのであった。
 
   谷井2号生徒より、「  花岡3号生徒、 この海軍兵学校の銘板の説明をせよ。」と、命令があり、
 
   花岡雄二生徒は、数歩前に出て、回れ右をして、私たちの前に、背筋を伸ばして、立たのであった。
 
 
 
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     花岡雄二生徒【のちのフランス大使館附駐在武官 連合艦隊参謀 大佐】は、 大きな声で、
 
 「 全員、傾注、 この海軍兵学校の文字銘板は、江戸時代の終わりの、日本海軍の創設者
 
  勝 海舟先生の文字を集めて作られた、由緒のある、銘板である。 だれか、勝先生が、
 
日本海軍の創設者と言うことについて、説明が出来る者は、この中におるか。」と、 問いかけがあって、
 
私は知っていたのであったが、出しゃばって名乗り出て、失敗してはまずいと感じて、黙っていると、
 
みんな、知らないのか、知っているのか、沈黙したままであった。
 
花岡雄二生徒は、「そうか、では、説明してやる、  江戸幕府の崩壊を予想していた勝先生は、
 
1864年5月に、神戸の港近くに、海軍操練所 【かいぐんそうれんしょ】を、設立して、将来海軍の
 
 大黒柱になるであろう人材の教育を開始した。 これが、海軍兵学校の前身である。
 
 そのようないきさつで、勝先生の手紙などを集めて、ちょうど良い文字を抜き出し、銘板に仕上げた
 
のが、この海軍兵学校の銘板のいわれである。」 と、説明があり、私は、「ほうーーー、立派なもんや
 
なーー。」と、となりの列の鹿児島1中の福元義則君に話しかけると、福元君が「そうでごあすなーー。」
 
と、こんな感じで、みんな、感心して、花岡雄二生徒の説明を聞いたのであった。
 
 花岡雄二3号生徒は、「 だれか、海軍操練所の設立年の良い覚え方を知っておる者はおるか。」と、
 
問いかけがあったのであったが、返事をする者は無かったのであった。
 
 
 花岡雄二3号生徒は、「良い覚え方を教えてやる、 江戸幕府に海軍操練所は、イチパツ【18】でムシ
 
【64】されて、潰された。と、こう覚えておくと良い。」と、説明があったのであった。
 
なーーるほど、歴史では、海軍操練所は、尊皇攘夷の巣窟と決めつけられて、江戸幕府に潰される
 
のであるが、なかなか良い覚え方で、 上手に、短い限られた時間で、物事を覚える良い方法で、
 
あると、当時は、海軍兵学校の門柱の前で、みんなで、感心して見ていたのであった。
 
 
【次回に続く。】