第400回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第399話 海軍兵学校の正門の事。 2013年3月27日 水曜日の投稿です。
【大正当時の海軍兵学校の通用門の写真】
私たちは、全員、このレンガ造りのしゃれた門が正門とばかり、思っていたのであった。
実は、そのあと先輩生徒から、指導されてわかったのであるが、ここは、当時は通用門と呼ばれ、
正門が別にあったのであった。
しかし、現実には、正門の機能を果たしていたのだった。
我々の一団は、谷井 保 2号生徒の号令で、「 全員、きょうつけーー、まわれ左。」との指示で、
また、元の方向に向きを変えると、「 行進はじめーー。」の大きな叫び声で、ぞろぞろと、前に
進んでいったのであった。
今もそのままではと思うのであるが、当時は、少し下り坂になっていて、
左手に、イギリス風の洋館が建てられていて、現在では、珍しくないのであるが、
当時は、見たこともない、立派な建物に見えたのであった。
関東にお住まいの方は、東京駅の丸の内側の建物を思い浮かべていただくと良いと思う。
谷井 保 2号生徒の、「 全体止まれーーー、回れ右。」の号令で、我々は、海の方を
見ながら、整列したのであった。
谷井 保 2号生徒は、 「 安井 保門3号生徒、 前ぇーーっ。」と、大声で号令すると、
同郷の奈良県出身の同級生の安井 保門先輩が、我々の前に進み出たのであった。
谷井 保 2号生徒の号令で、「 安井3号生徒、 2次試験受験生に、正門について、
説明せよ。」と、指示があったのであった。
【昭和初期の海軍兵学校正門付近。】
安井 保門3号生徒 【のちの海軍艦政本部 大佐 散式弾の開発責任者】は、「全員、注目。」
と、大きな声で号令したのであった。
「 正面の西に向かう道の先は、桟橋であるが、ここが、海軍兵学校の正門である。
この正門は、通常使用されず、来賓、卒業などの行事の時に使用されるのである。
【現在、昭和後半頃の正門付近の写真。西側に桟橋がある。】
来賓とは、皇室、 海軍大臣、新任の校長などをお迎えする場合は、すべて、正門より行う、
通常は、使用されないのであるが、良く覚えておくように。」と、説明があった。
どのような感じになるかというと、左右を生徒が整列し、道を作るのであるが、
その間を、卒業生などが、行進して、周囲は、敬礼して、迎えたり、送り出したり、
するわけであるのだが、 当時の私は、そんなことはよくわからないので、
なんや、 通用門の方が、立派な造りやがな、と、心の中で、思っていたので
あるが、 そのうち、この正門の使用方法がわかってくるのは、高松宮という
皇室の宮さんが、おこしになる後日まで、お預けとなったのであった。
最後は、上の写真の様に、「帽子ふれ。」の号令で、帽子をふって、見送るわけで
ある。 この帽子を振って、見送る作法も、イギリス式の海軍独特の方法で、
また、 しきたりなどは、機会があったら、紹介したいと思っている。
【次回に続く。】