第426回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第424話、海軍兵学校 武徳殿の事       2013年4月22日 月曜日の投稿です。
 
 
 
   私たちは、一通り授業を見学すると、今度は、生徒館の外の建物に案内されたのであった。
 
 
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    私が在学していた頃より、ずいぶんと年数がたち、現在はどうなっているのかは、よくわから
 
ないのであるが、大正時代当時、生徒館の直ぐ近くに、海軍兵学校 武徳殿という建物があって、
 
 そこに案内されたのであった。
 
 
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                       【昭和初期の武徳殿 武道場の古写真】
 
 
       この建物は、和風建築で、生徒館とは対照的な造りになっていたのを、記憶している。
 
 
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                  【海軍兵学校 剣道の授業の様子  昭和初期頃。】
 
 
 
    私たちが、近づくと、「 いゃーーーーーーー、めんーーーーーーこて、こてーー。」と、
 
  稽古のまっ最中であったようで。パチパチと竹刀の音が、響いていたのであった。
 
 
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            壁には、軍刀やら、木剣などが、無数にかけてあって、 大きな道場であった。
 
           当時の剣道というのは、現在の剣道などとは違って、 足がらみ、その他の実戦的な
 
           技を取り込んだ剣道で、現在のような、竹刀をあてるだけという、そんな物では無く、
 
           戦地で、敵を切り倒すという、実戦的な剣道であった。
 
 
           
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      ここ海軍兵学校では、攻撃精神を錬磨するとの目的で、剣道の他に、当時は、
 
     
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        相撲や、柔道などを、兵学校内で行っていて、 ずいぶんと厳しく指導されたのであった。
 
 
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       私たちは、監事附の曹長の案内で、武徳殿を案内されて、 「はぁーーーすごいもんや。」
 
       と、感心しながら、見学して歩いたのであった。
 
       
       すると、太鼓の音が、「ドン、ドン、ドン。」と、たたかれて、「 かかり稽古やめーーーーー。」と、
 
       号令がかかると、全員の生徒が、竹刀の切っ先を合わせて、腰に戻し、後に下がって、
 
       正座をして、全員防具を外したのであった。
 
       私は、中学の時、少し剣道をしていたので、少しは腕に覚えがあったのであったが、
 
       ここ海軍兵学校のの剣道の授業は、厳しそうであった。
 
 
 
【次回に続く。】