第424話、
海軍兵学校 武徳殿の事 2013年4月22日 月曜日の投稿です。
私たちは、一通り授業を見学すると、今度は、生徒館の外の建物に案内されたのであった。
私が在学していた頃より、ずいぶんと年数がたち、現在はどうなっているのかは、よくわから
ないのであるが、大正時代当時、生徒館の直ぐ近くに、
海軍兵学校 武徳殿という建物があって、
そこに案内されたのであった。
この建物は、和風建築で、生徒館とは対照的な造りになっていたのを、記憶している。
私たちが、近づくと、「 いゃーーーーーーー、めんーーーーーーこて、こてーー。」と、
稽古のまっ最中であったようで。パチパチと竹刀の音が、響いていたのであった。
壁には、
軍刀やら、木剣などが、無数にかけてあって、 大きな道場であった。
当時の剣道というのは、現在の剣道などとは違って、 足がらみ、その他の実戦的な
技を取り込んだ剣道で、現在のような、竹刀をあてるだけという、そんな物では無く、
戦地で、敵を切り倒すという、実戦的な剣道であった。
ここ
海軍兵学校では、攻撃精神を錬磨するとの目的で、剣道の他に、当時は、
相撲や、柔道などを、
兵学校内で行っていて、 ずいぶんと厳しく指導されたのであった。
私たちは、監事附の
曹長の案内で、武徳殿を案内されて、 「はぁーーーすごいもんや。」
と、感心しながら、見学して歩いたのであった。
すると、太鼓の音が、「ドン、ドン、ドン。」と、たたかれて、「 かかり稽古やめーーーーー。」と、
号令がかかると、全員の生徒が、竹刀の切っ先を合わせて、腰に戻し、後に下がって、
正座をして、全員防具を外したのであった。
私は、中学の時、少し剣道をしていたので、少しは腕に覚えがあったのであったが、
ここ
海軍兵学校のの剣道の授業は、厳しそうであった。
【次回に続く。】