第431回  昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第430話  非国民の事。           2013年4月27日 土曜日の投稿です。
 
 
 
 
  私と小池伊逸君 【のちの聯合艦隊水雷参謀】は、広島市内で、土産として、下駄を買いこみ、
 
 
 
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        旅行カバンの中にしまい込むと、ついでに私は、こけし人形も、反対側のお店で、
 
        値段の安い物を買いこむことにしたのであった。
 
 
 
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        「 どれにいたしましょうか、おみやげですか、 やすーー、べんきょうさせてもらい
 
        ますけぇーー、5個以上買うてもらうと、これだけにしますけえー。」と、一つ無料サービス
 
        するという、  私は、土産は、ある程度数を買って帰らないと、近所でも、あの人にあげて、
 
        この人にあげないというのでは、角が立つので、誰にあげるかは別にして、買うことにした
 
        のであった。
 
 
 
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                         【当時の広島市内の様子。】
 
 
        私が、「 そやったら、10個かうよって、 3個勉強してくれへんやろか。」と言うと、店主は、
 
        「 わかりましたけー、つつみますけぇー、ちょっとまちょうてくださいや。」と言って、
 
        人形を包みだしたのであったが、そこに、そう、12才から13才くらいの少年、4人が、
 
        店の前から、こちらに向かって、「 このーー非国民。」と大声で叫んで、私と小池君と
 
        店主に向かって、石を投げてきたのであった。
 
        運悪く、少年達が、石を投げた、石が、私の背中と、店主の肩にあたり、「あったたたた、
 
        なにをするんや。」と、振り向くと、少年達は、逃げていったのであった。
 
         店主が、「 お客さん、大丈夫ですか、わしがーー、戦争に反対しとりますけぇー、
 
         ここの町内会長やら、周囲にいやがらせをされるんですわ、戦争言うのは、ろくな事が
 
          ないですけぇーー。」といいながら、人形をまた包みだしたのであった。
 
 
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     当時は、戦争に反対して、平和などと叫ぶ者は、 非国民と呼ばれ、学校でも、一般社会でも、
 
     攻撃され、 世間から冷たく扱われたのであった。
 
     その戦争をする兵士の学校に行くことになった、私たちも、戦争反対と言われると、なんだか、
 
     当時は、卑怯者のようで、この店主が腰抜けに思えたのであるが、店主に、金銭を渡し、土産
 
     を手に持つと、さすがに、かさばってしまい、 小池君が、 「まだ、弁当とお茶をかわんと、あき
 
     まへん。」 と言うので、私たちは、弁当を売っているお店を探したのであった。
 
     しかし、私は戦地で、首がない死体、手足が吹き飛んだ、戦傷者、 そんな光景を、20年後、
 
     たくさん、見ることになるのであるが、今考えると、当時、戦争に反対すると言うことは、勇気が
 
     ある人であったと、思うのであった。 
 
 
     【次回に続く。】