第459回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第458話  いかりをプロペラのしるしにの事。   2013年5月25日 土曜日の投稿です。
 
 
 
   
   私たちは、呉の中通りで、すこし早い食事をした後、西に向かって歩いて、川を渡り、川沿いを南下して、
 
河原石港【現在の川原石】に向かって、歩いたのであった。
 
「 みんみんみんみんみーーーーーーーーー。」と、セミが鳴いて、とっても、暑い中を歩いて、おまけに、
 
中通りで、手土産のドーナッを買ったので、両手はいっぱいである。
 
 
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          呉軍港の、対岸の、河原石港に着くと、他の生徒も、たくさんならんでいて、すこし、そう、
 
          船が2往復ていど、約1時間程度、港で、順番待ちになってしまったのであった。
 
          呉の河原石港から、江田島の小用の港まで、30分程度なのであるが、夏の暑い中、
 
          行列の中に座り込んで、「  やれやれ、やれんわい。」と、 日干しのように、順番を
 
          待ったのであった。
 
 
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              ヒマなもので、 水戸中学の井上君に、「海軍兵学校を卒業して、海軍で将来
 
            なにに進むべきや。」と、聞いて見ると、彼は、正面の呉軍港を指さして、「あれの
 
            艦長になるだっぺや。」と言うので、私が、「艦長になるまでに、航海科とか、水雷
 
 
 
 
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            とか、機関科とか、 砲術科とか、あるやんけ、どれがよいかいな。」と、さらに質問
 
            すると、井上君は、 「 それは、航海科だっぺ、 軍艦が動かせんと、大砲を撃てても、
 
            だめだっぺ。」と言う、 近くにいた、源田が、くすくす笑うので、私が、「源田君は、
 
            どうした方がよいかいな、 実はわしはやな、よーーく、海軍の組織の内容が、わからん
 
            さかいに、どっちが、早道やろうかと、まよっておるんや、遠回りして、出世が遅れたら、
 
            あかんでーーー、なーー、小池君。」と言うと、源田が、「 どの考えも古い、これからは
 
            陸軍も、海軍も、航空機の時代が、必ずくる。大量の航空機をもって、優秀なパイロットが
 
           いる國が、戦争に勝つ、 こう言う時代が、遠からず来る。 そういうわけで、俺様は、
 
           艦長など、時代遅れの鉄の船の、お偉いさんなどに、なろうとは、思わんな、
 
 
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           兵学校を卒業したら、茨城県の土浦の、霞ヶ浦の航空兵見習部隊というのが、つい最近、
 
           創設されたらしい、俺様は、そこにまず進んで、空を飛ぶ技術を身につけて、
 
           大型爆弾を積んで、 空から、戦艦に向かって、爆弾を上からこうーー【手でポーズを
 
           とりながら】、 攻撃して、落とす、 すると、雨のように爆弾が落ちてきたのを、かわしき
 
          れずに、爆発して、戦艦を沈めて、 まずは、金鴲勲章をもらって、源田實の名を
 
          世界に、覚えてもらう、 戦艦の時代は、終わって、航空機の時代が到来したことをな、
 
 
          
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                  【山本権兵衛 総理大臣、海軍大臣、などを当時歴任した。】
 
 
          そして、いずれは、山本権兵衛さんのように、海軍大臣となり、 まずは、この海軍の
 
          いかりのしるしを、俺様が、プロペラの印に、改めてやろうと、思っておる。」と、 演説するので、
 
           私も、小池君も、井上君も、他の生徒も、ぽかーーんと口を開けて、源田のお話を
 
           あっけにとられて、聞いたのであった。
 
           それから、15年後、源田の言う通り、 飛行機の時代が到来するのであった。
 
 
 
【次回に続く。】