第498回 昭和の伝道師 【戦中、戦後のパイロットの物語】

第497話 海軍兵学校 入学式の事。          2013年7月3日 水曜日の投稿で゛す。
 
 
 
 
 忘れもしない、大正10年8月26日の0945時より、海軍兵学校 大講堂にて、私達の第52期 入学式
 
 
が、執り行われた。
 
 
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         私達は、大きな海軍兵学校の講堂に、呉の軍楽隊の音楽に合わせて、成績順に入場
 
     したのであった。
 
     上を見上げると、イギリス製の舵の形をした、シャンデリアが、印象に残っている。
 
     このとき、私は、入学式に望む第52期の生徒の人数が、270名程度であると
 
     初めて知ったのであった。  
 
 
 
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        その日に、初めて知ったのであるが、 校長の千坂中将が、訓示でお話しされていた
 
のであるが、 私達の入学した、第52期が、なんでも、海軍兵学校 50周年にあたるとかで、
 
大変に、目出度いという、そんなお話であった。
 
東京の海軍省軍令部長の山下源太郎大将の挨拶があり、内容は、高松宮殿下が、本校に入学して
 
大変目出度いと、そんな内容であった。
 
続いて、呉鎮守府 長官の村上格一大将の訓示があり、「 忍従をして、努力せよ。」と、言うような、そんな
 
お話の内容であったと記憶している。
 
 
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 この村上長官は、その後、東京に転勤されて、海軍大臣に就任されて、私達には、鏡のような人
 
であった。
 
 私は、心の中で、「はぁーー、海軍大将になる人ちゅうんは、そのへんの人とは、違うなーー。」と、
 
思ったのであった。
 
 続いて私を引きつけたのが、軍令部 次長の安保清種中将のお話で、 日露戦争の時に、旗艦 三笠の
 
砲術長をしていたときの、戦闘中のお話があり、マイクも何もない時代である。私達は、耳をそばだてて、
 
そのお話を、興味を持って聞き入ったのであった。
 
 
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            こんな感じで、苦労して勉強し、やっと、海軍兵学校に、なんとか、合格できて、入学し、
 
            目出度く、入学式が迎えられたのであった。
 
            外は、8月の暑いセミの鳴く、晴れ渡った日であったと、記憶している。
 
 
【次回に続く。】