第510回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語。】

第509話 海軍兵学校、初めての教室の授業       2013年7月15日 月曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
   私達は、ぎりぎりの0750時に、すれすれで到着して、椅子に座ろうとすると、机に番号があって、
 
教室の席順も、成績順であった。
 
 
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        海軍兵学校という所は、年功序列、先任序列と言って、 兵学校の第何期なのか、 
 
        同じ同期でも、 このハンモックナンバーというのがあって、 たとえば、艦隊の司令官でも、
 
         複数の艦隊が合同するときなどは、 兵学校の成績順に沿って、序列が決まったので
 
        あった。
 
        つまり、 成績が私よりよくて、1歳年下の源田は、18番で、 1歳年上の私は、97番目
 
         である。
 
         すると、私は、階級が同じでも、彼の命令に従わなければならないのであった。
 
         そういうわけで、海軍兵学校の成績の順番は、退役するまで、ついてまわるので、私達には、
 
        大変、重要な事であった。
 
 
         海軍大尉が、教室に入ってこられ、「 全員起立。  きょうつけーーー、礼。」と、
 
         号令がかかったのであった。
 
         この号令は、ハンモックナンバーの1番の生徒が号令することになっていて、
 
         特別な身分であった。
 
         当時、たしか、1番の生徒は、鳥取1中卒の入江壽直生徒であったと、記憶している。
 
         
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   【昭和初期の授業風景古写真  当時の授業は、聴講がおおく、暗記することが、大切であった。】
 
 
 
              我々は、着席の号令で、着席すると、海軍大尉は、かぶっていた制帽を
 
            取って、右の教卓に、そおっと、大切そうに置くと、黒板に、白いチョークで、
 
 
           「 攻撃的精神、 滅私的精神。」と、書くと、私達をじろりと、睨み見つけたのであった。
 
 
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        この黒板に書いてある文字が、教育が、大日本帝国を破滅に導いていったのであった。
 
 
【次回に続く。】