第512回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第511話 海軍兵学校、「見敵必戦主義」の事。2013年7月17日水曜日の投稿です。
私達は、起立させられ、全員で、首席の入江生徒の号令で、そう、20回ほど、
「 我々の命は、大日本帝国の物であります。」と。連呼させられ、 海軍大尉から、
「よく聞こえん、大きな声で、 腹に力を入れろ。」と、激を飛ばされて、 私達は、
ものすごい叫び声で、「 我々の命は、大日本帝国の物であります。」と、叫んで、
やっと、許可が下りて、着席したのでありました。
海軍大尉は、 黒板に「 見敵必戦主義」と、チョークで書くと、「 うむ。 貴様、読
んでみよ。」と、私を指名されたので、 私は、起立をして、「読んで字のごとく、見
た敵は、必ず闘う。という意味と思うのであります。 」 と、解答すると、 海軍大尉
は、「合格と、叫ぶと、この文言は、イギリス海軍の伝統的、攻撃精神である。
貴様一人で、100人の敵と、相対したとする、 貴様はどうするのか。」と、今度は、
別の生徒を指さして、といただすと、 その生徒は、「 はっ、自分は、一旦、退却し
まして、様子を見るのであります。」と、言うと、 海軍大尉は、「 落第。」 と大きく
叫んで、次の生徒を指名したのでありました。
次の生徒は、起立すると、「 自分は、先頭の兵士に、先制の攻撃の痛打を浴び
せて、敵の出鼻をくじきます。」と、解答すると、海軍大尉は、「 合格。」と、叫んだ
のでありました。
海軍大尉は、 「 よいか、ただの一人となっても、敵を見たら、突撃して、これを
強襲粉砕する。
この攻撃精神を、 見敵必戦主義という、 我が皇軍兵士は、例え、一人になっても、
果敢に攻撃し、 けっして、生きて虜囚の辱めを受けることなく、一人でも、敵を道連
れにして、はてるのである。」 と言うと、 なにやら写真を出して、 席順に写真を順
送りにして、閲覧が始まったのでありました。
私の所にくると、 陸軍兵士の、手足の切断された痛ましい写真であった。
海軍大尉は、「 この不心得な兵は、 生きて、ロシアの捕虜となり、 手足を1つ
づつ、切られて、辱めを受けて、絶命したのである。
このような、惨めな最後を迎えるより、 一人でも刺し違えて、 敵を倒す。
この事を、よく頭に入れておくように。」と、 教室で、指導があったのであったのです。
当時のこのような、精神的教育が、大東亜戦争で、多くの玉砕を招き、 多くの犠牲者
を作る素因となっていったのです。
どうして、1度退いて、体制を立て直し、武器、弾薬、食料の補給を十分行って、
再攻撃すると言うことが、出来なかったのかーーー、 日本が敗戦した原因のひとつ
であると考えます。
【次回に続く。】