第516回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第515話 海軍兵学校 機先を制すの事。 2013年7月21日 日曜日の投稿です。
私達は、寺本教官の居合斬りの演武を拝見して、周囲のみんなも、「ほうーーー
すごいもんや。」と、
しきりに、感心しているようであった。
後から考えてみると、寺本教官は、頭のよい、運動神経抜群の秀才ばかり集めた
第52期入学者の前で、試斬の演武を見せつけることで、私達生徒の機先を制した
のであったのです。
寺本教官は、 こんどは、飾ってある、額をゆび指して、 私達に、こう説明したの
です。
見たら、こちらから、必ず1番に、体当たりで攻撃し、 敵の戦意をくじくという、
海軍兵学校の兵法に、まったく 都合のよい、書であったのである。
部屋があって、 海軍兵学校では、神様の軍神扱いであったのです。
寺本教官は、「 この中で、剣道をしたことがある者は、手を上げよ。」と、問いかけ
ると、十数名程度、挙手する生徒がいたように思えたのです。
私は、中学で少し剣道をしていたのですが、わざと手は上げなかったのです。
手を上げた生徒と、上げなかった生徒は、別のグループに分かれ、 経験者は、
防具を着けて、 切り返しの稽古をするらしく、堀 教官に連れられて、 道場の
中央付近で、稽古が始まったのです。
兵学校入学者の中には、武徳会の二段の生徒もいて、 武徳会というのは、戦前
の団体で、戦後の現在で言えば、全日本剣道連盟と言うところでありましょうか。
【海軍兵学校 武徳殿 内部の稽古の状況 昭和初期頃の古写真】
ところで私は、未経験者の中に入って、整列していたのであるが、初日は、竹刀
も、木刀も、持たせてもらえず、 セミが鳴く、暑い中、 すり足の練習をさせられた
のであった。
すり足というのは、 右足を、前に出し、 左足を引いて、 左のかがとは、浮かせ
て、前後左右に動く練習をする事で、 私は、もう一度、初歩から、勉強するつもり
で、他の生徒とともに、すり足の稽古に汗を流したのです。
【次回に続く。】