題546回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
題545話 海軍兵学校、 航海兵器の事。 2013年8月20日 火曜日の投稿です。
私達は、着席したまま、静かに、教官の指示を待っていた、監事附の下士官が、すべて、
教科書を配布したようであった。
それを見届けると、教官は、「 全員、注目。」と、号令をかけると、「 この教科書は、御国の
所有物で、 来年以後も、使用するので、書き込みをしたり、折り曲げたり、しないように、大切に扱
うように、 まずは、 表紙を開いて見よ。」と、指示を出すと、私達は、指示に従い一斉に、表紙を
開いたのであった。
そこには、この本を作った人の名前と、身分が書いてあったのであった。
海軍大尉 石原英雄 と書いてある、 私は、「英雄 」とは、 「ええ名前やなーー。」と、
思ったのであったが、その場では、声を出さず、 感心して、見入ったのであった。
教官が、「 アーーー石原大尉は、 この分野の専門家であって、 このような、教科書などを
諸君ら、後輩のために、作られておる、諸君らも、本校を無事卒業したら、 なにか項目を決めて、
研究に打ち込み、 物事を極める努力をするように。」と、話があり、私は、「なーるほど、
勉学に励んで、本を作るのも、ええなーーー。」と、この時思ったのである。
残念ながら、日本が敗戦し、 パージ【戦犯】に指定され、公職追放の身分となり、 農業で
挫折し、 家族のため、生活のために、本を書き作り出すのは、この後、33年後の事である。
次を開く指示を受け、 目次が紹介してあり、 教官の説明を聞いたのであった。
当時私は、 途中から本の内容を見たり、 「 ほうーーこんなもんかいな。」と、 途中、途中を
飛ばして見たり、 五条の町の大池書店の立ち読みのクセがあり、 午前中、失敗して、分隊の
みんなに、すこし迷惑をかけたのであったが、 兵学校の授業を受けて、 目次を観察するという、
そういう良いことを覚えたのであった。
この部分は、その書物全体を見るのに、随分と良い場所で、 この本を作った人の、
大まかなあらすじがつかめるページである。
第一節は、 総説【そうせつ】と、書いてあり、 本を作られた、石原英雄 海軍大尉の思いが
綴られていた、
第2章は、羅針儀の事が詳細に書いてあったのである。
教官が、 黒板に、羅針儀と、大きく書かれて、 右端から、生徒を指名して、
質問をしていく形式で、授業が進んでいったのであった。
教官が、指を指して、「 おい、貴様、 初めから、本を少し読んで見ろ。」と、指示を出すと、
その生徒は、 顔が赤くなるような、大声を出して、本を読み上げたのであった。
大正時代は、マイクも何もない時代、 入学したときの、姓名、出身校の申告の練習が、ここで
生きてくるわけである。
「 羅針儀は、艦船の針路を保ち又は、物標の方位の測定に用いるーーーーーーーーー。」
と、本を読み上げたのであった。
教官は、 羅針儀の色々な種類を、教科書を示して、説明し、 これの中から、磁気羅針儀という、
所の話を重点的に、話して、私達に聞かせたのであった。
奈良の中学校の授業といささか違っていたのが、英語と平行して、授業が行われる事で、
たとえば、 磁気羅針儀は、英語で、 Magnetic Compass と、単語を書いて、 直ぐに暗記が、
求められるのである。
海軍将校の教官は、 英会話が、 日常会話であると、ほぼ、英会話が出来るので、この程度は
出来て当たり前と考えているようであるが、 この点に、辞書もない私達は、大変苦労して暗記
したのであった。
実は、35年後、 これらの苦労が、失業した私と、家族を随分と助けていくのであった。
【次回に続く。】