第576回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第575話 海軍兵学校 生徒倶楽部の事。 2013年9月19日 木曜日投稿です。
憩いの場として、私達に提供されていたのです。
【 大正時代の海軍兵学校 古写真】
その民家の事を、第○○分隊の生徒倶楽部【せいとくらぶ】と呼んでいたのです。
島民は、 日曜日に広間を私達海軍兵学校生徒に開放することで、 海軍からお金をもらい、
副収入にしていたわけです。
お宅だったのです。
建物は、普通の農家や、漁村の家で、誰でも契約できるわけでなく、 畳15畳程度の広さがあり、
10人近い生徒が、くつろげる家が指定されていたのでした。
生徒倶楽部の指定を受けた、民家では、 海軍より、将棋盤、 碁石盤、 すごろく、 カルタ
レコード、 ラジオなどの娯楽道具が、供与され、 私達は、 そこで休日を過ごして、まあーー、
くつろいで、 日頃の疲れをごろ寝して、 取り除いたりしていたのです。
民家の人たちは、非常に親切で、 特産のみかんや、ネーブルを出して、お茶を入れて
くれたり、 一緒に将棋を指したり、私達は、親元を離れて、 寂しい思いをしていたのですが、
ここに来ることで、家を思い出し、家族のふれあいを感じて、随分と、すくわれたのでした。
私達は、やっと2時間かけて服装検査で許可が下りて、外出が許されたのです。
当時は、身だしなみが特に厳しく指導され、 海軍兵学校の生徒の威厳を保つ
事が私達生徒に、厳しく指導されていたのです。
又、外出した後、 学校外で、傷害事件、その他トラブルを起こすことは、厳重に
禁止され、 随分とやかましく指導されていたのです。
生徒クラブに着きますと、 みんなお茶を飲んで、 それから、たばこも吸ってよかった
のですが、酒は禁止されていました。
私は、その後、随分と、酒保で、酒を買って、 浴びる程度に酒を飲んでしまうクセが
ついてしまうのですが、私のふがいない性格の短所は、また後日紹介します。
私達には、日曜日に、この武田生徒倶楽部で、過ごすことが、当時は唯一の楽しみ
だったのです。
今でも、昨日のように、楽しい思い出が、思い出されます。
【次回に続く。】