第579回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第578話 海軍兵学校 宇垣 纒 中将の事。   2013年9月22日 日曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
  
イメージ 1
 
 
   教官がどんどんと、生徒をハンモックナンバーの順で、生徒を指名していき

まして、 第3分隊の源田【後の空将、参議院議員】の番になったのでした。
 
 源田が、「小隊 D,  でべそ小隊のD 。」と 、回答しますと、 また教室内に、

クスクス笑い声が出まして、 和やかな雰囲気で、諸記号の授業が進んでいったの

でした。
 
数人して、 今度は、私と同郷の1歳年下の、奈良県の小池君【後の連合艦隊水雷

参謀】の番になったのです。
 
 
イメージ 2
 

  【 当時の海軍兵学校の教科書 略記号表 暗記する事が求められた。】
 


 
  小池君が、「 潜水艦 s、  潜水艦は小さいから、スモールのエス。」と、回答

しますと、 教官が 「全員注目。  大文字の S, は、戦隊を意味し、 小文字

のs,は、 潜水艦を意味する。
 
 ここんところが、後日成績考査の試験に出るので、各自、よく覚えておくように。」 

と、指導があったのです。
 
  
大文字の  S は、戦隊 と言う意味なのですが、 昭和17年の5月頃でしたか、

海軍大学の4階一室で、 来たる6月初旬の実施される、 アリューシャン、ミッド

ウェイの両面作戦の図上演習が開催されまして、私も末端の中佐として、参加

していると、まさに、 海図の上に、 船の形をしました
 
将棋のコマのような、兵棋【へいぎ】のコマに、 このとき勉強した、略号の入った、

 コマが多数置いてあったのです。
 
 
 
イメージ 4
 
 
 
   当時、日本海軍は、 多数の潜水艦を、 ミッドウエイ島と、ハワイ諸島

中間地点に、 第3潜水戦隊、 第5潜水戦隊 第13潜水戦隊の合計12隻を

横一列に、展開しまして、
 
 
 
イメージ 10
 
 
 
  ミッドウェイ島を爆撃し、敵の陸上航空基地を、制圧せしめた後、 陸軍の


旭川の連隊の、 一木大佐の上陸専門部隊の一木支隊、 及び、海軍の特別

陸戦隊合計4千名を、ミッドウェイ島に上陸させ、 ハワイから、 米機動部隊が、

迎撃に出てきたら、3個の潜水戦隊でもって、
 
 
イメージ 3
 
 
 
 途中の海域で偵察、哨戒を行い、場所を報告するとともに、可能であれば、雷撃、

撃沈を狙うと、こう言う万全を期した作戦だったのです。
 
 
イメージ 17
 
 
 
そういうわけで、 図上演習の兵棋コマには、 s,イ121  s,イ123,などの


コマが 横一列に、ハワイ諸島と、ミッドウエイ島の間にならんでいたのですが、 

連合艦隊参謀長の宇垣少将【当時】が、 椅子に着座して、判定の審判員をして

いたのです。
 
 
イメージ 11
 
 
 
海軍兵学校第40期  岡山県赤磐郡出身 連合艦隊参謀長 宇垣 纒 中将 】
 
 
  相手役の、 アメリカ軍の機動部隊は、 第2航空戦隊司令長官 山口多聞長官

たちが、行っていて、  又、後日紹介しますが、 第4航空戦隊の航空参謀の奥宮

正武君【後の空将】が、サイコロをころがして、ふって、 数字を読み上げるのです。
 
 
 
イメージ 12
 
 
 【当時の連合艦隊司令部、 前列左から4番目が山本五十六長官、 その左2番

目が、宇垣参謀長 】
 
 
  海軍大学、図上演習用乱数表というのがありまして、 今でも記憶に残っている

のですが、草鹿少将が、 航空母艦 記号 A 加賀などの艦船のコマを、ミッドウ

エイ近海 進めて、 今度は、山口多聞長官が、アメリカの艦船コマを、ミッドウェイ

北方に配置して、奥宮君が、サイコロを振ると、 乱数表を見ると、空母加賀が撃沈、

 空母赤城大破と、なりまして、
 
 
 
イメージ 5
 
 
 奥宮航空参謀が。  「 加賀、 撃沈。 赤城、大破。」と、 大きな声で叫んだ

のでした。
 
 
  航空母艦の加賀が、 図上演習で、撃沈されてまい、草鹿少将が、変な顔を

していると、すると、 宇垣参謀長が、「 そのあつかい。まった、なかったことに

せよ。」と、 審判席で声をかけたので、 なかったことになったのですが、 戦後

の現在、 小説家などが、色々書いて
 

イメージ 13
 
 
                    【山本長官と、宇垣参謀長】
 
山本五十六連合艦隊司令長官と、宇垣参謀長は、犬と猿の仲で、 永野軍令部長

が、嫌がらせで、宇垣中将を、連合艦隊参謀長に、送り込んだとか、 「鉄仮面。」と

いう、 あだ名の通り、変人だったので、 山本長官は、首席参謀の黒島大佐を寵愛

し、宇垣参謀長を外して、 作戦を遂行していたとか、 そういう事が色々書いてある

のですが、まったくの戦後の空想の作り話で、 確かにいつも、鉄仮面のような、 厳

しい顔で、 いつも艦橋につめていて、命令に対しての、統帥には、厳しい人でした。
 
しかしながら、私生活では、周囲や、部下に対しては、 細かな気を使い、私用で、

愚かな態度を取られることは無かったのです。
 
 
 
イメージ 14
 
 
 【終戦後、 この写真を撮影した後、 宇垣中将は、階級章を外して、特攻に

 出撃して、戻らなかった。】
 
 
 世間では、私もそうですが、自分に優しく、周囲に厳しい人が多いのですが、宇垣

閣下は、自分に対しては、大変厳しく、 いつも身の回りは、きれいに整頓され、毎日

日記をつけていた、そんなまじめで、几帳面な人でしたが゛、 当番兵の話によると、

いろんな人にお仕えしたが、 1番、階級が下の者に、心配りがきいた人で、 お仕

えしやすい人で、 山本長官とも、仲が良く、よく一緒に酒を飲みに行かれ、1番、

山本長官の心を汲んで、参謀長として、日常業務にあたられていたのです。
 
 
 
イメージ 6
 
 
後で紹介しますが、 連合艦隊 首席参謀の黒島大佐【後の海軍軍令部 少将】は、

奇想天外な作戦を立案するので、山本長官は、黒島首席参謀のことを、「 鑑真、

【がんじん】 鑑真。」と呼んで、大事にしていたわけですが、  周囲の人とのトラ

ブルも多い人でした。
 
山本長官は、世話好きな人で、人を大切にする人でしたが、 反面、人を信じ込む、

そういう欠点もありました。
 
  又、後日紹介しますが、 大西大佐【のちの海軍中将】が、水を石油に替える

方法がある、なとどいう、ペテン師を海軍次官室に連れてきた時も、信じ込んだら、

なかなか、正気に戻らないことがあったのです。 
 
 
イメージ 15
 
 
 【 目標との距離を 海図で山本長官に説明する、黒島連合艦隊首席参謀。 】



 
黒島閣下は、日常の行動がすこし変わった人だったのですが、 宇垣参謀長は、

顔色に出すこともなく、山本長官の立場に立って、 何事も自分を殺して仕事を

されていたのです。
 
そういうわけで、黒島首席参謀と、 他の参謀がもめたときも、間に入ったり、  

ミッドウェイの敗戦処理も、 宇垣閣下が、 随分と収拾にあたられたのです。
 
宇垣閣下は、最後の死ぬまで、自分に厳しい人でした。
 
そして、自分が命令して戦死した部下を追いかけて、終戦の日の翌日、爆弾を

積んで特攻攻撃に出撃して、 2度と基地に帰ってこられなかったのです。 
 
部下の兵に命令して、多くを戦死させて、 自分に厳しい人だったので、耐えら

れなかったのかもしれません。
 
後任に到着した、 草鹿龍之助 中将が、着任して、「 前任の宇垣中将の顛末

を聞いて、「  彼は 真の武人であった。」と、 ひとりで つぶやいたそうですが、
 
立派な海軍軍人であったのです。
 
戦後、8月15日を境に、 戦死した人を自殺として扱い、 残された家族に、恩給が

出ないというのは、 少しおかしいと考えるのですが、そのお話は、又後日お話し

したいと思います。
 
 
 
イメージ 7
 
 
図上演習で加賀が撃沈されると、また海軍省の軍令部に、山本長官が、とやかく

言われたらいけないと判断して、 「 加賀撃沈、沈没を無かったことにせよ。」と、

言われたのですが、同席者は、だれも、文句や異議を申し立てず、 そのまま、

図上演習は進んでいったのです。
 
 
イメージ 8
 
  
 
 
今から思えば、 あの作戦、 図上演習の段階から、おかしかったのも知れません。
 
実は、あまり知られていないことですが、空母 加賀と、 空母 蒼龍は、  最後は、

アメリカの潜水艦に、雷撃されて、 沈没するのです。
 
イメージ 9
 
 
 
 
このお話は、小説にも、映画にも紹介されていないので、 知らない人が多いの

ですが、当時ミッドウェイの周辺には、多数のアメリカのS型という潜水艦が、待ち

受けていたのです。
 
 
 
イメージ 16
 
 
しかし、日本海軍の暗号をアメリカが解読していて、通信内容が筒抜けで、 戦後

になるまで、それに誰一人気がつかなかったとは、  戦争に負けた1番の原因

だったのです。
 
 前方展開の潜水艦の位置も、米軍に筒抜けで、 配置前に、アメリカの艦隊は、

通り過ぎ、何も連絡がないので、 敵の艦隊はいないのではないかという、そういう

思い込みが、無残な結果になったのです。
 
海軍兵学校の 小文字の【 s, 】の記号、 潜水艦という意味ですが、 ついつい、
 
昔話を思い出してしまいました。 
 
 
 
【次回に続く。】