第584回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第583話 海軍兵学校、 射撃教練の事。 2013年9月27日 金曜日の投稿です。
なったのです。
の順番になりまして、小銃弾受け渡しの火薬庫があります補給廠のほうに移動して
整列したのです。
私達の分隊の先任は、福元義則生徒で、彼が号令をかけて、「 きょうつけーーぃ。」
「番号。」と、叫びますと、 私達は、彼の指示に従いまして、各自、点呼の番号を叫んで、
整列したのでありました。
「 かしらーーーむけぃ、敬礼。」と言う号令で、 背筋を伸ばして敬礼をしたのです。
担当の下士官から、「 全員注目、 本日各員に配布するのは、 5発つづりの、小銃弾2組
合計、10発である。 射撃後、 薬夾及び、受弾板を各員回収して、 又、返却するように、
くれぐれも、紛失のないよう、用心して、管理するように、 以上 終わり。」
と、話がありまして、 つまり、当時の陸軍や海軍では、小銃弾を発射した後の
薬莢を回収しまして、 工場に返却して、 再度、弾丸を取り付けて再利用していた
のです。
これが、物資不足の資源のない、我が国の実態であったのです。
約270名の生徒が、10発ずつ、射撃しますと、全体で、2700発の使用になり、
海軍兵学校では、 同数の薬莢を回収しまして、 帳簿につけていたのです。
つまり、薬莢が、例えばひとつたらなくなると、使途不明の小銃弾が、1発
出来るわけで、 原則そのような事は、当時は許されなかったのです。
私達は、一人ずつ、姓名申告をして、「 第13分隊 淵田美津雄 小銃弾
10発、間違いなく受領いたしました。」 と、大声で叫んで、 弾を受け取った
のです。
分隊、全員に配布が完了しますと、先任の福元義則生徒の号令で、 「全員、
きょうつけーー、敬礼。」と、敬礼を済ませまして、 「 回れーー右。 行進始めー
ー。」と、こんな感じで、 補給廠を出発しまして、又、練兵場に戻りまして、
整列したのでした。
転進を始めたのです。
当時、 大正時代の私達の在校時は、 皇国山【みくにやま、現在の古鷹山】の山麓
に、海軍兵学校の射撃教練場がありまして、 そこまで、一糸乱れず、 軍歌を歌い
ながら、小銃を担いで、行進したのです。
私達は、順番に射撃教練場に到着し、 整列して、教官の訓示を聞きまして、
指示通り、色々と注意事項を聞きまして、 初めは先任順で、第1分隊からの
射撃になるので、私達は、100人近く、随分と後の順番なので、見学することに
なったのでした。
中古の30年式小銃という物で、 当時の最新の小銃は、38式歩兵銃だった
のです。
外観は、随分と長さがあって、人間の肩近くまで長さがありまして、 随分と
重たい小銃でした。
分隊事に、 射撃前に、小銃弾の装填の仕方などを、一応、講義は受けて
いるのですが、再度説明と、指示があって、 地面に伏せて、 伏せ撃ちをして
行くのです。
白い籏を、腕を伸ばして、前に出すわけです。
教官が。笛を「ぴぃーーーーーーっ。」と、吹きますと、 「 全員、実弾装填。」と、大声で
指示がありますと、ゆうていを引きまして、 弾を5発、上から押し込んで、ゆうていを戻す
わけです。
各自が、ゆうていを戻すと、「 装弾よし。」と、 大声で叫ぶのです。
すると、後の生徒が、 今度は、白い籏を、引っ込めて、赤い籏を、前に出すのです。
いよいよ、実弾射撃教練が始まったのでした。
【次回に続く。】