第586回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第585話 海軍兵学校 実弾射撃 薬莢回収の事。 2013年9月29日 日曜日の投稿です。
私達は、配布された、10発を、あっという間に、撃ち終えまして、自分たちの撃っていた
射的を、回収しに行ったのです。
これは、事故があったらいけないので、射撃指揮官の監事附の下士官殿の指示に従わなければ
なりません。 監事附の下士官殿が、「 後が待っているので、素早く射的を回収する様に。」
と、指示がありまして。私達は、小銃を肩にかけて、駆け足で、射的の回収を行ったのです。
急いで、射的を外しまして、 元の位置に整列して、 次の分隊に、交替したのです。
と、射撃をしている最中に、もっぱら、自分たちが撃ちました、射的の話に夢中になったの
でした。
後任の 井上武男君が、「 淵田生徒、 何点だったぺや。」と聞いてきたので、その時点で
自分の射的を見てみると、 中心の10点の所から、随分と下に、集弾していて、
7点と、6点の部分に固まってしまっていたのでした。
反動が出ると、推測して、少し下を狙ったのですが、視力がよいと、穴が開くのがわかるので、
数発撃ちまして、修正すれば良かったのですが、目暗射撃で、こんな事に、問題は、この射的を、
学校に帰った後、提出して、教官に修正射撃のことを指導された場合、視力が弱いことを、露見させ
ないように、どう話を取り繕ったらよいかと、1人で、心の中で考えていたのでした。
を歌いながら、戻ったのです。
補給廠の前に整列しまして、 ちょうど、犬のエサの入れ物のような、2つのアルマイト製の入れ物
の中に、小銃弾板と、薬莢を、弾盒から、出しまして、「 淵田生徒、 薬莢10個 弾板1個、
返納します。」と、 係の下士官に見えるように入れていくわけです。
この集めるのを、分隊の先任の福元義則生徒が、全員の薬莢を托鉢をするように、集めて回り、
まとめて、「 申告します。 第13分隊、薬莢80個 小銃弾板 16個返納します。」と、差し出し
まして、係の下士官が、確認して、「 よろしい。」と、許可が出て、私達は移動したのですが、
ここで、 薬莢、 小銃弾板が、紛失して、なかった場合、 分隊全員で、探しに行かないと
いけなかったのです。
なぜなら、薬莢がないと、 使途不明弾薬が発生してしまうからです。
幸いなことに、当日は、そのような事はありませんで、 無事実弾射撃訓練は終わったのです。
問題は、この後でして、 実弾を射撃したら、火薬の汚れが小銃につくわけです。
銃身の中、 機関部の中、 通常の手入れより、さらに、分解しまして、バネなどを掃除する
わけです。
ばらして、組み直すと、どういうわけか、部品が余ってしまったり、 そんな事を繰り返しながら、
再度ばらしまして、布でふいていくのですが、火薬の汚れというのは、なかなか落ちませんで、
随分と大変だったのです。
やっと、ピカピカに、磨き上げまして、2号生徒に見ていただき、そして1号生徒に見ていただいて、
「よし、銃架に戻しておけ。」と、許可が出まして、 一段落したのです。
私は、この日に思ったのですが、射撃教練は、面白かったのですが、後の小銃の
手入れが大変で、 「それこそ、小銃のバネや、小さな部品を無くしでもしたら、大変や。」と、
思いまして、 周囲の顔を見渡しますと、みんなそう考えているように、感じました。
その日の私達の夕食です。 塩に、少量の漬け物、 味噌汁、 麦飯、 豆腐に、魚の切身と、
こんな感じでした。
これでは、17時頃、夕食をしまして、次の朝食まで、お腹がすくのです、ずいぶんと、ひもじい
思いを当時の夜中にしたのですが、 その頃、東北地方の方では、凶作で、餓死者が出たり、大変
だったようで、 3食用意された食事を食べれて、私達は幸せだったようです。
【次回に続く。】