第592回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第591話 ウラジオストック ルースキー島要塞の事。 2013年10月5日土曜日の投稿です。
海老原大佐が、総領事に、ウラジオストックの軍備について質問すると、渡邊総領事は、
机の後の本棚の本を取り出すと、その後に、隠し引き出しがあり、それを取り出しながら、
「実は、東京の本庁から指示を受けまして、雪のない季節に、偵察活動をして収集しました
事をお話しいたしますが、 この資料もいつか、東京に送りたいと考えてはいるのですがーー。」
と、話ながら、封筒から、地図、写真、資料などを、海老原大佐の前にさし出したのでした。
「 ウラジオストックの突き出た半島は、通称 ルースキー島要塞と、呼ばれまして。
ウラジオストックの防衛の拠点となっているのです。
この、赤い部分がそうなのです。」
「 こちらが、そのルースキー島の地図でありまして、 元々は高麗人【こうらいじん】が、
畑を営んでいたのですが、 全員、立ち退きをさせられて、シベリアのオムスクあたりの
原野に強制移住させられまして、住民は現在誰もおりません。」と、説明が始まった
のです。
【 ルースキー島要塞 】
何もご存じない人に、高麗人という意味を紹介しますと、 中国大陸に住んでいた、
朝鮮人系の中国人の事で、 それらの人のことを、当時は高麗人と呼んでいたのです。
ロシアは、これらの人々に、小銃を突きつけて、 畑や家などの村全体を取り上げて、
彼らを、極寒のシベリアに強制移住させて、開墾にこき使って、多くの人が亡くなって
いったのです。 これを当時は、「シベリア送り。」と呼んでいました。
現在も、中央アジアに、その人達の子孫が、細々と暮らしておられるのです。
海老原大佐は、「 露助【ろすけ】も、ひどい事をするもんですな、 用心しませんと、
次は、日本かも知れませんな。」と、こんな会話をしながら、資料を手に取ったのでした。
チェコ人、蒙古人、など、奴隷のように、こき使われていまして、建設が進んでいた
のですが、昨年、ロシア帝国が、内部分裂しまして、以後、建設が中断しています。
一般の下級兵士の給料も、とまっている状態のようで、 これらの下級兵士、
奴隷として連れてこられた、強制労働者が、問題でしてーーーーー。」
彼の巧みな、演説で、民衆は彼を信じて、 各地で武装蜂起が続いて、内戦状態な
訳でして、 現在は、冬場で、川も土地も、氷で覆われ、息をひそめていますが、
これが、おそらく、5月に入って、天候が、雪解けになりますと、 ここウラジオストック
ことです。」
渡邊総領事は、 1枚の地図を広げて、 海老原大佐に説明したのでした。
「 ウラジオストックの周辺は、現在、ロシア軍、 現在は、白軍と呼ばれる、
ウクライナ人のコルチャック海軍提督のシベリア共和国の軍隊が、占領しているの
ですが、数キロ先は、ドルゴ、セーエフスキーの赤軍が、対峙しており、おそらくは、
5月から、6月にかけて、武力衝突が起きるのは、目に見えています。
から、必ず取りに来るでしょう。」と、説明したのです。
「 ルースキー島要塞は、ベトン【コンクリート】で固められた、堅固な陣地でして、
旅順要塞のように、海に向かっては、大砲、 機関銃などが配備されております。
なかでも、最先端部には、口径、射程は不明ながら、 軍艦用の回転砲座が
建設されておりまして、 ずいぶんと、やっかいな存在で、これらと、戦うと、
日露戦争の、旅順要塞以上の犠牲が出ると思われます。」
これらの資料を見ながら、海老原大佐は、 戦艦石見と、少数の陸戦隊では、どうしようも
無いことを、悟ったのでした。