第595回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第594話  ウッドロゥ、ウイルソン米国大統領の陰謀。      2013年10月8日 火曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
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              【   アメリカの当時の大統領  ウッドロゥ、ウイルソン大統領 】
  
 
 
       外務省の幣原喜重郎 外務省事務次官らの主導で、シベリア共和国との、軍事同盟
 
 
 
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             【 外務省 事務次官 幣原喜重郎  のちの内閣総理大臣 】
 
 
  交渉が進む中、 日露戦争時から、大日本帝国の脅威を感じていた、アメリカ大統領の、
 
 ウイルソン大統領は、 イギリスの首相、デビット、ロイド、ジョージ首相より、シベリアへの
 
 出兵要請を受けたのですが、あることを理由に、返事を保留していたのでした。
 
 
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  イギリスは、共産主義の思想が、 インドのカースト制度で、身分社会を造り、インド人同士を
 
反目させて、インドを植民地統治していたのですが、 共産主義運動がインドに入ってくる以前に
 
共産主義の国を潰してしまいたかったのでした。
 
そのまま放置すると、巨大な人口を要するインド人が反乱を起こすと、手に終えなくなると、
 
考えたのでした。
 
 
 
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        イギリスのデビット、ロイド、ジョージ首相は、チャーチル卿と相談して、インドから
 
        植民地軍をシベリアに派兵するとともに、アメリカに出兵させ、共産主義討伐を考えて
 
        いたのです。
 
        そして、現在のベトナムラオスを植民地にしていた、フランスは、イギリス同様の
 
        考えで、当時のフランス大統領、 ジョルジュ、クレマンソーは、 同様に、共産主義
 
        国家の討伐をアメリカに、要請したのです。  
 
 
 
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        当時、アメリカは、当事の呼び名で、欧州大戦こと、 戦後の呼び名で、第一次
 
        世界大戦には、上下両院の議会の同意を得られず、中立を保ち、 参戦していな
 
        かったのですが、
 
 
 
 
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          【 ドイツのU20に撃沈されたとされている、アメリカの客船  ルシタニア号 】
 
 
 
        アイルランド沖で、アメリカのルシタニア号が、ドイツの潜水艦に、撃沈される事件
 
        が発生し、乗組員1198人が死亡する事件が起きると、  アメリカ国内でも、ドイツ
 
        討伐の世論が起こり、1917年4月にドイツに参戦したのです。
 
        但し、この沈没事故は、不可解な点が多く、陰謀沈没説と、ドイツ攻撃説があるのです。
 
       陣地塹壕戦、 毒ガスなどで、負傷者が急増し、 どんどん、増援部隊を入れ、
 
 
 
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        ついに、常設部隊だけでは、兵力が不足するにいたり、当時の陸軍長官の
 
        ニュートン、ディール、ベイカーの主導で、18才から、45才の男を兵士徴兵する、
 
 
 
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                【当時の陸軍長官  ニュートン、ディール、ベーカー】
 
 
 
 
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          法案を米国議会で通過させ、 どんどん派兵し、 おびただしい戦死者が
 
          急増していた最中だったのです。
 
         
         
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          このような、毒ガスの負傷者が急増していた当時、 さらに、極東のシベリアに、
 
          軍隊を派遣する事を、米国議会に提案して、 賛成が得られるかというと、
 
          当時、難しいと考えていたのでした。
 
 
 
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         当時外交の窓口であった、国務長官のロバート、ランシング長官は、 シベリアに
 
         各国と協調して派兵するという計画を、強行に主張し、 副大統領の、トーマス、
 
         R、 マーシャル副大統領も、 同調したのでした。
 
 
 
 
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           つまり、日本が単独で、ティーヴェーエール共和国討伐に動くのを放置すると、
 
           ロシアの半分を日本が占領し、 大帝国に成長するのではないか、アメリカや
 
           複数の国で、軍事介入し、 国際的管理に沿海州を置くべきだという、そういう
 
           考えであったのです。
 
 
           そして、 ロバート、ランシング国務長官が、会議で提案したのが、ポーランド
 
           チェコ人の人道援助だったのです。
 
 
 
 
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どういうことかと言いますと、ロシア帝国は、ホーランド、チェコ、 スロバキア、 ユーゴ、 セルビア
 
ウクライナに武力侵攻して、併合し、 この地で、有識者、 つまり、政治家、医師、教師など、
 
など、頭の良い人や、 そのほか、独裁統治にじゃまな人を、逮捕して、シベリアへ送って、強制
 
労働させて、多くの人が、極寒の気候と、食糧不足で、死んでいっていたのでした。
 
死んだら、かわりの囚人が必要なわけで、 どんどん、疑わしい無実の人を逮捕して、シベリア
 
に送って、収容所に入れて、 密告を奨励し、恐怖政治を行っていたのです。
 
 
 
 
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                     【  当事のチェコ人の大量処刑された、遺体 】
 
 
      また、脱走、反乱が起これば、収容所で、拷問、処刑を繰り返していたのです。
 
    1918年当時、 ロシアが内乱状態になると、遠く故郷から離れた、シベリアの地で
 
    ポーランド人、 チェコ人が武装蜂起して、故郷に帰国の為の内戦が続いていたのです。
 
 
 
    
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      この話を、アメリカの国務長官から聞いた、イギリスのデビット、ロイド、ジョージ首相は、
 
      イギリス議会で、チェコ武装蜂起支援を発表し、 アメリカにも圧力をかけたのでした。
 
 
 
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 ウイルソン大統領は、チェコ人の射殺死体の写真などを、わざと、新聞記者に流し、 アメリカの
 
 世論を煽動する工作を開始し、  副大統領のトーマス、R、マーシャルも、アメリカ各州を、
 
 
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 自身の選挙活動も含めて、 国民の戦時国債の購入と、 戦争への兵士志願と、チェコ人への
 
人道援助を遊説して歩いたのでした。
 
 
 
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      そして、用意周到な、議会のねまわしで、 シベリアへの派兵が条件付きで、認められ
 
      、 派兵法案が議会を通過したのでした。
 
 
 
【 次回に続く 】