第597回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第596話  大正天皇の病状の事。           2013年10月10日 木曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
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   日本陸軍が、ティーヴェーエール共和国討伐の軍を編成していた当時、 大正天皇が、突如
 
頭痛を訴えられ、 当事の医療では、原因不明の脳病と、診断されたのです。
 
 
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                              【  大正天皇 】
 
 
    当時は、大正天皇の病状は、極秘にされ、 風貌のよく似た、影武者のような、代人をたてたり、
 
    宮内省は、色々と、あの手この手で、病気を伏せていたようです。
 
    当然、新聞記者なども、全く気がついていなかったのですが、 戦後の話を総合すると、
 
    脳内出血であったのではと推測されています。
 
    つまり、言語中枢機能が、手前の血管が破裂したことにより、 壊死してしまい、まったく、
 
    言語中枢が、麻痺してしまい、言葉は出るのですが、ろれつが回らなくなったようです。
 
 
 
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          陛下は、子煩悩の、優しい方だったそうですが、 医療水準の低い当時、
 
          寝ていただけでは、回復は難しく、逆に、だんだんと、症状が悪化し、
 
          記憶が、喪失していく、 そういう症状であったようです。
 
 
 
 
 
           その当事、 立憲政友会 幹事長 原 敬 議員の元に、山口8区選出の
 
          
 
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難波作之進 衆議院議員が、書生見習の息子の大助と一緒に、原 幹事長を訪ねてきていた
 
のでした。
 
 
 
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     「 原先生、 このまま、陸軍の寺内内閣に任せておくと、日本は借金まみれになって、
 
     数年後、破綻します。 陸軍の寺内を総理大臣に据えたのは、失敗でした。
 
     何事も、小田原の古稀庵【こきあん】を通して、山縣侯爵のお考え通りしないと、何もでき
 
     ません 、軍人も、 官僚も、政治家も、財閥も、なにもかも、小田原詣でをしないと、何も
 
    出来ない始末ーーーーー。」 この話を黙って聞いていた、 原 敬は、 イスから立ち
 
    上がり、 庭をうつろな表情で、眺めたのでした。
 
 
 
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     当事、山縣有朋は、財閥の三菱に、神奈川県の大磯の別邸を、法外な値段で買い取らせ、
 
     出来たお金で、 小田原市に、古稀庵【こきあん】という、10000坪の広大な庭のついた、
 
     別邸を新築して、大変良い暮らしをしていたのでした。
 
 
 
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       何事も、山縣侯爵を通さないと、途中で嫌がらせをされて、話が頓挫するので、 みんな、
 
      東京から、小田原にわざわざ通って、 山縣侯爵のご機嫌を伺っていたのでした。
 
       そして、毎日、毎日、行列が出来ていたのです。
 
 
    
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                    【  陸軍大将 寺内 内閣総理大臣  】
    
 
    原は、「 陸軍の実力者の軍人を、内閣総理大臣にして、陸軍のあらくれ軍人を押さえて、
 
    政治をすると言うのは、 思慮がたらなかったのかも知れませんが、 今となっては、 軍人を
 
    敵に回しても、予算も成立しない始末、 難波先生、あなたは、勇みよいお話をされるが、
 
    貴方の、庚申倶楽部【こうしんくらぶ】 25名と、 私の立憲政友会を合わせて、 命をかけて
 
    軍人を排除する気概がある人間が何人いますか、 とたんに、陸軍に潰されてしまうでしょう。」
 
 
   と言うと、黙り込んでしまったのでした。
 
 
 
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   難波 議員は、 「 しかしですな、このまま、経済のことも、金融の事も、農政のことも
 
   司法のことも、外交のことも、理解していない、軍人が政治を続けていくと、国債
 
   利払いだけでも、 途方もない金額の数字ですぞ、  あと5年しない内に、破綻することは
 
   目に見えています。
 
   なんとかしないと。」 と、 心配する、難波議員に、原 敬が、手渡したのは、 1枚の
 
   地方新聞の記事だったのです。
 
 
   「 いいですか、難波先生、 まずは、世論を味方につけて、 相手に、こちらの考えを悟ら
 
  れない事です。  私は、新聞社を経営しているので、いろんな情報が入るのです。
 
  また、情報を出すことも可能です。
 
  当分私に従って、静かに、軽挙妄動は慎んでください、 そして、ここぞと言うときに、命を、
 
  私に渡してください。  まずは、世論を、「 反陸軍。」で、まとめて、海軍の山本を利用して、
 
 
 
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   陸軍の寺内を、総理の席からおろして、 その後、私は民主的な選挙を全国で行おうと
 
  考えています、 そして、我党より、候補者を立てて、 合法的な手段で、山縣系列の県知事
 
  の首の付け替えをしていくのです。」
 
 
すると、 難波議員は、 その選挙と、この新聞には、どう関係があるのですか。」と、聞くと、原は、
 
にやりと、薄ら笑いして、 「 まっ、 眺めていたまえ。」「 陸軍に、つばを掃きかけて、 二人
 
そろって、暗殺されても、つまらんでしよう。金にもなりません。」 と、こんな会話をしたのでした。
 
 
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   富山県の地方新聞の記事には、 富山県中長江町の主婦、約200名が、 シベリア出兵で、
 
 米の値段が上がると予想して、 売り惜しみして、 法外な値段で米を販売しようとした、商人が
 
 
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 ご婦人達に、 米藏を開けさせられて、 つるし上げを受けたという、そういう記事だったのです。
 
 
 
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    原の事務所を訪れて、 翌日の朝刊を、息子の大助が取り込んで、 父親に見せた、その
 
    新聞には、 シベリア出兵で、陸軍軍人と悪徳米商人の活字が、並べられ、米が全国で、
 
    高騰しているという、新聞記事だったです。
 
 
 
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         これらの新聞は、日本全国、 いろんな新聞社から、配り歩かれ、 米の値段が
 
        上がっていく、原因になっていったのでした。
 
         そして、 マグマが噴出するように、日本全国に広がっていったのでした。
 
 
 
【 次回に続く。 】